全12紙面のうちの2紙面。     センター生活を振り返って。卒業生からの言葉。     卒業にあたって。                    高等5年、オオカマ シンイチ。 もうすぐ春がやってくる。日本のあちらこちらでは、卒業式のシーズンである。私も、センターにお世話になってから、5年半が過ぎた。思い起こせば、会社勤めをしていたころは、あるテイドの肩書きも付き、将来も安定していた。定年が過ぎ、孫達に囲まれて年をとっていく、それが私の人生だと思っていた。 しかし、一転して、物を見る力を失いつつ、暗闇の世界に入ってきて、やむなく、会社勤めを辞めることになり、つらい生活に入っていった。男として、ダイコクバシラとして、何よりもつらかったのは、収入がなくなることであろう。その時期に妻が、福祉課に相談。この世界があることを、知った。しかし、5年半は長い。 私は悩んだ。少しでもいい、わずかでもいい、毎月決まった収人があれば、贅沢はできなくても、たべることはできると、探し回った。世の中は不景気の時代で、そこかしこで倒産、倒産。しかしあった。そこに勤めることにした。だが、何も見えなかった。もう、だめだと。会社勤めを、完全にあきらめた。そしてこの世界に入ることに決めた。 今まで、寮生活をしたことのない私にとって、期待と不安でいっぱいであった。「案ずるより産むがヤスし」、で同じ境遇の仲間達、優しい先生ガタによって不安は、すぐに消えてしまった。半年間の生活訓練カテイを経て、理療カテイへと進み、普段から負けず嫌いの私は、腕を上げることや、私なりにこつこつと繰り返し勉 強した。3年目にして、あんま師の国家試験に合格、残るは鍼師、灸師の国家試験の合格である。そして卒業。5年半の間には、家庭でも色々あり、妻に精神的にも肉体的にも、口では言えないくらいの苦労をかけてしまった。卒業後は、お世話になった治療院に就職をすることにした。できるならば、自宅開業をしたいものだ。センターで得たこと、学んだことを治療院で発揮し、悩める患者様のために、惜しみなく努力していきたいと思う。先生ガタ、福祉関係のカタガタ、そして妻に生計を立てるための道を、つけていただきました。心より感謝します。ありがとうございました。   センターを振り返って。 専門3A、ササガワ ヨシタカ。 僕が今、思っていることは、もう卒業してしまうんだなあということです。もっとも、国家試験の勉強や、卒業にむけての後片づけや、就職または開業へと、将来の夢に向かって進むためのすることの多さに、時間は、ゆったりとした気持ちで長く感じたホウがいいのですが、当初、入所するときの雰囲気よりも、あっというまに、嵐が過ぎる入所生活でした。 僕の父親が、視力障害でセンターの卒業生であり、あんま、はり灸の仕事をしているということから、ただなんとなくセンターに入所したので、今考えれば、右も左もわからなかったんだなと思います。まず、教科書の厚さ、書いてあることの難しさにびっくりしました。そして実技、臨床実習の練習の多さ、施術の結果を出すということの難しさに、直面しました。鍼に関しては僕は、片山先生を中心に教えていただきましたが、先生がされる施術の結果の素晴らしさに、驚き、同時に患者さんに喜んでもらえる施術をすることの難しさを知り、それに至るために必要な免許を当然として、知識と技術を習得しなければならないことの多さ、難しさに圧倒されたと感じています。あんまでも同じようなことが言えるのですが、体をさわることで覚え、いろいろ自分なりに試行錯誤することで、喜ばれる施術を作りたいと思います。 いろいろな行事があって楽しいときもありましたが、なくなる傾向にあって、入所者同士のつながりも薄くなってきており、さびしい感じも少しあります。自分の施術でも、喜ばれる患者さんがいることにただうれしいですし、「病気ではなく、病人を診る」、ということを教えていただいた先生たちに、感謝しています。僕にとって、これからの財産だと思っています。