全12紙面のうちの10紙面。 突撃。  卒業生インタビュー。                 理療教育かてい卒業、治療院開業までの道。 神戸センター、理療教育カテイを卒業されたかたがたに、その後、どのような進路を選択し、現在の生活の様子や、センター入所時の思い出、また、在所生に対するメッセージをいただきました。これから、入所を考えているかたは、センター生活を、在所中のかたは、卒業後のイメージに、役立てていただければ、幸いです。 卒業生プロフィール。 氏名、さかきばら みちまさ。年齢、52歳。出身地、岡山県。専門カテイを、平成11年度卒業、(平成9年、44歳ジで、入所)。現在、眞鍼道治療室を、開業。開業歴、5年、(平成12年から平成17年)。 見出し、1.。センターに入所するまで。  質問、@。どんな仕事をしていたのですか。   ・建築関係の仕事をしていました。10年くらいかな。学校も建築関係を、出てまして。そのころから暗いところが、見えづらかったです。仕事場が薄暗かったから、余計難しかった。でも、文字は読めるし、書けていました。動作的にも問題なく、日常生活で困ることは、なかったんです。   ・その後、小売業で伝票を書いていました。平成8年に、転勤で、横浜へ引っ越したのですが、そのころから急に見えかたがおかしくなって、文字を書くとまっすぐに書いているつもりが、曲がるんです。文字は読めるけど、伝票の枠内に、書けなくなり、休職をとりました。そのころ、大学病院で診断を受けて、「網膜色素変性症」、ということがわかりました。休職してから、西宮に戻ってきたけど、さらに見えづらくなり、物がゆがんで見えるけど、視力検査表の切れ目はわかるから、視力は出ていました。  質問、A。センターをどこで知りましたか。   ・働いている時、夜が見えにくかったので、通院していた眼科医から、聞いていた。盲学校は、子どもの頃から入学している人が、行くところと思っていたので、まったく考えてなかった。休職中に、見学、相談に行った。どんどん見えづらくなってきて、復職はできないかな、と思っていたので、センター入所の準備を進めていた。  質問、B。センターへ入所を決めた時の気持ちは。 ・ あんま、はり、灸というものがあることは、知っていたし、鍼には興味があった。視力低下が早かったので、復職というよりは、先のこと、(進行)、を考えると、この道しかないと思っていた。書類提出後も、はいれるか、あやふやだったので、それが、非常にストレスだった。既に、休職がきれて、退職していたので、自分の居場所がなく、不安であった。決まったときは、ホッとした。 見出し、2。センター入所後について。  質問、@。センターの勉強はどうでしたか?    ・建築関係、小売業と全然関係ないことしかやってきていないので、全然知らなかった。最初に、教科書を、墨字か、点字か決めるときに、解剖の教科書を見せられた時には、なんじゃこりゃーって。    ・拡大読書器については、眼科から紹介されて知っていたので使っていた。あってよかったが、慣れるまで大変だった。最初は、拡大読書器で試験は受けていたが、2年頃からテープも、併用し始めた。勉強方法は、授業をテープにとって、それをポイントごとに、再編集していた。テープだけだと聞き間違いがあるので、拡大読書器で教科書を読んで、文字確認をしていた。  質問、A。国家試験に臨んでどのように対策をとりましたか?本格的に勉強を始めたのは、3年の1月からです。過去問題を繰り返し、解いていました。それまでは、授業のまとめテープと、2年から補習を受けていました。過去問をやりつつ、正解以外の選択肢の勉強もしていた。そのとき、授業のまとめテープが、とても役:立ちました。    ・模試も、いい経験ができた。1日目がんばりすぎて、2日目が目が痛いし、頭は痛いし、ヘロヘロになって、頭に問題が、入ってこなかった。これで2日かんのぺース配分、コンディション作りを学びましたね。本番は、1日目と2日目といい状態で、できました。 見出し、3。今の仕事内容について。