全8紙面のうちの7紙面。 人事異動。 3月31日付。 ◆ 退 職 。(5名)。 退職、1人目。藤井 修二。 (庶務課長補佐)。 退職、2人目。高倉 義憲。  (指導課長)。 退職、3人目。原田 敦史。  (指導課生活支援専門職)。 退職、4人目。笹田 三郎。  (教務課長)。 退職、5人目。宍戸 新一郎。 (教務課教官)。 4月1日付。 ◆ 転 出。(4名)。 転出、1人目。松岡 利男。 (所長)。 こくりつ身体障害者リハビリテーションセンター更生訓練所指導部長へ転出。 転出、2人目。石毛 利宏。 (庶務課庶務係)。 こくりつべふ重度障害者センター庶務課会計係長へ転出。 転出、3人目。有馬 早苗。 (指導課主任生活支援専門職)。 こくりつ身体障害者リハビリテーションセンター更生訓練所指導へ転出。 部相談判定課主任心理判定専門職。 転出、4人目。サトリ 幸枝。 (教務課教官)。 こくりつしおばら視力障害センター教務課教官へ転出。 ◆ 転 入。(6名)。 転入、1人目。湯澤 茂男。 (所長)。 こくりつ身体障害者リハビリテーション。 センター管理部総務課長から転入。 転入、2人目。佐藤 春巳。 (庶務課長補佐)。 こくりつしおばら視力障害センター庶務課会計。 係長から転入。 転入、3人目。工藤 裕司。 (指導課長)。 こくりつ身体障害者リハビリテーション。 センター更生訓練所指導部指導課主任から転入。 生活支援専門職。 転入、4人目。山本 裕理。 (指導課入所者援護係長)。 こくりつ身体障害者リハビリテーションセンター管理部企画課学。 院係長から転入。 転入、5人目。藤田 ゆかり。(指導課主任生活支援専門職)。 こくりついとう重度障害者センター指導課生活支援専門職から転入。 転入、6人目。西澤 伸之。 (教務課長)。 こくりつ身体障害者リハビリテーションセンター更生訓練所理療。 教育部主任教官から転入。  ◆ 新 規 採 用。(2名)。 新規採用、1人目。三浦 久美。(指導課生活支援員)。 新規採用、2人目。浮田 正貴。 (教務課教官)。  ◆ 再任用任期更新。(1名)。 森本 宏美。 (庶務課庶務係)。 指導課入所者援護係から再任用任期更新。  ◆ 内 部 異 動。(2名)。 内部移動者、1人目。浅沼 旬。 (庶務課会計係)。 教務課業務係から内部移動。 内部移動者、2人目。伊藤 毅。(教務課業務係長)。 庶務課会計係から内部移動。 御当地訪問 1。 「休日の遺跡めぐり」。             指導課、工藤 裕司。  この4月に単身、神戸に転勤してきてハヤ4ケ月が過ぎました。「おーい」と声を出しても誰が返事をするわけでもなく、ひたすら掃除に洗濯、買い物というシュフ生活が板につきつつあります。 それでも休日は暇をもてあまし、持病の腰痛対策も兼ねて散歩を始めたところ、意外な発見がありました。 今回はそんな身近な発見をお伝えしましょう。  神戸センターは、実は神戸市とは言っても西のはずれに位置し、数百メートルも歩けばあかし市に入ります。あかしといえば 「あかし焼き」や 「しごせんまんじゅう」も有名ですが、私としては中学で習ったあかし原人を思い出しました。そのあかし原人も、原人ではなくもう少し時代の新しい旧人 (5〜6万年前)だったとの解釈が現在の定説となっているようです。しかも、その発見場所とされる「あかし原人腰骨発見地」は、「あかし象の発掘地」と並んで自転車で行けるほど近くの海辺にあることに驚かされます。 センター周辺には、こうした歴史のある遺跡が多く点在しており、最も驚いたのは職員宿舎の裏手の公園に現在も宮内庁が管理する古墳があったことです。この古墳は、おおつか古墳と呼ばれ、周囲は200メートル足らずですが、池に浮かぶきれいな形の前方後円墳です。日本書記には、602年に聖徳太子の弟の当麻皇子の妃となる舎人姫王が病死した際に、この古墳に葬られたと 記されています。そもそも子供の頃に教科書でしか見たことのない前方後円墳が、自分の住んでいる場所の裏手で見られること自体が、明治以降に開拓されたほっかいどうで生まれ育った私には信じられないことでした。  さて、神戸に来て驚いたことはこうした遺跡だけではありません。腰痛持ちの私としては、最近、休日にはリハビリを兼ねてセンター周辺を散策していますが、とにかく溜め池が多いことにも驚かされました。この溜め池の謎については、次回、なぜか無数にいる溜め池の亀たちが語ってくると思いますのでご期待ください。