[更生訓練情報]
理療教育課程第23回卒業式
理療教育部教官  浅井 邦夫



 3月1日金曜日、朝から穏やかに晴れ寒さも和らい だ早春の日、中庭の紅白の梅がこの日を祝うかのよ うにちょうど満開となり、理療教育課程第23回卒業 式が、10時より講堂で行なわれました。
 今年の卒業修了生53名(一部5年課程卒業生9名・ 二部3年課程卒業生38名・修了生6名)は、会場中央 に4列に座り、来客者である厚生労働省、埼玉県、各 地の福祉事務所や福祉施設、県内盲学校、近隣の小 中学校や防衛医大、市内の消防署や郵便局や職業安 定所、業界団体、ボランティア、クラブ活動講師な どが参列され、さらに家族・在所生・職員も式に参 加しました。こうした厳粛な雰囲気はやはり卒業式 ならではのものです。
 卒業証書授与は、中村隆一総長が卒業生の一人一 人の前に歩み寄り手渡していきました。
 引き続き、総長の式辞や厚生労働大臣などの来賓 の方々からの祝辞をいただきました。祝辞の中に使 われる言葉にはその時代が反映されます。中村総長 は『ヘルスケア・ヒーリング・癒し』の専門家とし て活躍して欲しいと述べられ、厚生労働大臣(佐藤 孝一国立施設管理室長代読)は『ノーマライゼーシ ョン』の理念に基づく施策を述べ、埼玉県知事(高 野一雄入間東福祉保健総合センター副所長代読)は 『バリアフリー、平等と社会参加』を述べられ、東 光会(同窓会)の山田栄一郎副会長は、『母を慕い 故郷を愛するようにセンターを誇りにしてくださ い』と述べられました。
 送る言葉では、二部2年の山田裕正さんが『実技 の練習をする先輩たちの姿をみて感銘した。先輩達 から受け取ったバトンを後輩たちへ継ぎたい。』と 感謝と決意を述べました。最後に別れの言葉で、二 部卒業生の鹿嶋誠一さんが自らの半生を振り返りな がら『悲しみ苦しんだ経験があるから成長できる、 障害により失うものは多かったが入所によって得た ものも多かった』と訓練生活を締めくくりました。 (別添で全文を紹介します)
 それぞれが想いを込めて蛍の光を合唱し11時20分 すぎに式は終わりました。
 卒業式には、春まだ浅い空気がよく合います。万 物をしまいこんだ冬から万物を生み出す春へ、長い 苦労を経て新たな未来へ希望を膨らませる、季節と 気分がまさに重なり合う独特の感覚です。式が終わ り、午後には気温も15度近くまで上がり、沈丁花の 香りもしていました。

卒業証書授与の様子




〜卒業生、修了生 別れの言葉〜

第23回理療教育課程卒業生・修了生代表  鹿嶋 誠一


 本日ここに、卒業、修了証書授与という栄誉を賜 り、卒業生、修了生を代表してお礼とお別れの言葉 を申し上げます。
 本日はお忙しい中、多くの皆様のご臨席を賜り誠 にありがとうございました。温かいねぎらいと、励 ましのお言葉の数々、国リハでの生活を振り返りな がら、耳にしておりました。
 様々な地域から集まった私たちは、皆様をはじめ、 本当に様々な方々に支えられて、この晴れの日を迎 えました。
 入所してからの学習の日々は、決して平坦ではあ りませんでした。しかし今、それ以上に、ここにた どり着くまでの日々が私の胸の中に去来していま す。
 ベビーブームのさなか、私は東京下町の大工の倅 として生まれました。そして、皆と同じように、高 度成長そしてバブルへと続く競争社会の中で、不動産 業の設計社員として忙しい日々を送っていまし た。20代で網膜色素変性症と診断されましたが、視 力は弱いながらもありました。その後は真綿で首を 締められるように病気が進み、図面を引くこともま まならなくなったのです。将来への不安はありまし た。しかしそれでも、意地にも似た思いで仕事を続 けました。
 そのうちバブルがはじけました。同じように私の 眼も限界を迎え、会社を辞めざるを得なくなりまし た。同僚との別れが無念でした。
 その後、就職活動をしました。今思えば、それま で築き上げたものを失うことが恐かったのです。同 じ職種で何社も足を運びました。ですが、多少の技 術を持っていても、眼に障害がある私を雇おうとい う力は、当時の不動産業界には、もはやありません でした。そして気づいた時には、私はうつ状態から うつ病になっていました。
 生きがいのない空しさが焦りに変わり、私の心の 中へ中へと向かわせ、それが、今度は自分に対する 鋭い怒りとなって、胸を貫いて出てくる。毎日毎日 が、そんな思いでした。
 妻は察してくれていたのでしょう。私を散歩に連 れ出してくれました。両親も静かに見守っていてく れました。しかし、私の心は帰って来ませんでした。
 立ち直るきっかけをくれたのは、私と同じ眼の病 いを持ち、鍼灸師をしていた妹からの、一本のテー プです。あるアメリカ人の著書を訳した朗読テープ です。「これ、聞いてみて」そう言われても、すぐ に聴くことはありませんでした。しばらく経って思 いだし、カセットのボタンを押しました。流れてく る音声に、ぼんやり耳を傾けていると、こんなくだ りが聞こえてきました。
 「あなたがやっていることは、目的ではなく過程、 プロセスです。人生の過程です。その過程を楽しも う」I am here at the right time.正しい時機を選ん で、私はここにいる。何回か口にしました。心が少 しずつ和らいでいきました。私の居場所は常にそこ にある。ありのままの私をいつくしみ、愛そう。悲 しみ、苦しんだ経験があるから成長できると考えよ う。ああ。それで、いいんだ。進行していく病気へ の恐れ、ひとりぼっちの孤独感、それらが私の心か ら少しずつ、少しずつひいて行きました。
 再び、外に出る気持が芽生え、色変の人が集まる 会に足を運ぶようになりました。そこでも、出会い がありました。同い年の女性が、全盲にも関わらず、 主婦業をこなし、またフルマラソンに挑戦されてい るのです。私の心に火を灯しました。勧められてい た、ここ国リハへの入所を決意しました。
 「失ったものは大きいけれど、ここで得るものも きっと多いはず。肩肘張らずにやっていこう」そう 思うと、更に心が柔らかになりました。私たちの中 には、途半ばにして国リハを去って行った人もいま す。残念なことです。私のような経験をしていた人 もいたのかもしれないと思うと、別の途で再起を目 指してほしいと、心から願っています。
 国リハでは、もちろん、弱い視力で勉強し、指が 痛くなるほどあん摩の練習もしなければなりませ ん。しかし、辛いことは、先輩も同級生も同じ。仲 間と一緒にいることで励まされました。家庭の事情 で長時間の通学を続けた人、すぐれない体調を押し て臨床をまっとうした人。その熱意を感じて惜しみ なく知識、技能を授けて下さった先生方。多くの 人々との交わりをとおして、今、この時を生きてい ます。
 私が通っていた病院の壁に「鬼手仏心」という額 がありました。鬼の手、仏の心。恐ろしい文句です。 「患者の苦痛を癒すためには、仏の心をもって邪気 を追い払う。たとえきつい手技でもお互いの心が通 えば治療効果は上がる」という意味でしょうか。患 者の気持ちを受けとめ、理解し、自分のことばで気 持を伝えることが、臨床では特に大切だと思うので す。
 これからも、私たちの前途には様々なことが待ち 受けているでしょう。けれども、自分を見失わず、 周囲の理解を得ながら進めば、きっと道は開けると 思います。
 最後に、在所生の皆さんの輝く未来と、ここにご 参集いただいた皆様、そして、私たちに縁あるすべ ての方々のご健勝を祈りつつ、お別れのことばとい たします。


別れの言葉を述べられた鹿嶋さん