〔巻頭言〕
素晴らしき仲間
管理部長 吉田 靜慈



 平成18年3月16日、北九州市に市民の長年の夢であった新しい空港が開港した。ご存知の方も多いと思うが、北九州市は昭和38年に 小倉、八幡、戸畑、若松、門司の5市が世界初の対等合併により誕生した九州で初めての百万都市であり、その調査のために国連の調 査団がわざわざ北九州市に来訪したこともある。
 合併直後の北九州市の生活保護行政は合併による市政の混乱に加え、受給者団体による生活保護獲得闘争、暴力団による不正受給な どで保護率は全国最高を記録し、生活保護の現場は荒廃し混乱を極めていた。こうした混乱の渦中にあって生活保護行政を正常な姿に 立ち直らせるため、昭和42年、本庁に指導監査体制の整備を図り、その一端を担うために厚生省から職員が出向することになった。そ れ以来、全市・全職員が一丸となって「北九州方式」ともいえる方法で、幾多の障害や苦難をバネにして生活保護の正常化に取り組ん だこともあって落ち着きを取り戻し、平成10年3月を最後に約40年間続いた職員の出向を打ち切ることとなった。私は平成5年から8 年まで北九州市に出向していたが、その頃は生活保護の適正化に取り組んで30数年もたっていたこともあり、生活保護に加え新たに社 会福祉施設の指導監査も手がけるようになり、諸先輩が出向していた時代とは業務の内容が大きく様変わりをしていた頃である。
 年に1回程度、北九州市に出向していた仲間で当時の苦労話や思い出を語り合うOB会を都内で開催しているが、その席上、近々新北 九州空港が開港するので、当時とは大きく変わった北九州市をこの目で見て感慨にふけるのもいいのではないかと提案があり、万年幹 事役の山さんのご尽力により5月の連休明けにOB会が初めて北九州の地で開催されたのであった。当時の仲間とも顔を会わせる機会に 恵まれ、中には約40年ぶりに再会した人達もおり、この喜びや懐かしさは言葉では言い表せないほどであったが、会えば一瞬にして当 時の若かりし時代に逆戻りし、時間を忘れて昔話に花が咲き楽しいひと時を過ごすことができた。
 このOB会で一番嬉しかったのは、持つべきものは友であり、先輩であり、後輩であった。当時、同じ釜の飯を食い、喜びや悲しみ、 時には喧嘩をしたりした仲間が、いつまでたっても忘れることのない深い絆に結ばれた素晴らしいものであると改めて思い、北九州時 代に大変お世話になった皆さんに心から感謝をしている次第である。
 いま、更生訓練所では障害者自立支援法を受けて一生に一度あるかないかの大きな改革を職員一丸となって手がけているが、この苦 労も近い将来振り返ってみる時が来れば、一緒に汗をかき、苦労した人との繋がりが、必ずや素晴らしい思い出として感じることがで きるであろう。そのためにも今は大変ではあるが、新しい更生訓練所を目指して努力を惜しむなとOBの一人としてエールを送りたい。 更生訓練所の皆さん頑張れ。