〔巻頭言〕
「教える」こと、「学ぶ」こと
理療教育・就労支援部長  鈴木 茂




 「鈴木さんて学校の先生になるんでしょ」、中学生のときに友人から言われた言葉でした。確かに誰かに教えるようなことが好きで、しばしば宴会での挨拶の長さを指摘されることがあります。しかし、仕事の傍ら通った大学では教職課程の取得に至らず、某大学職員の募集案内を未練がましく処分してからは、専ら福祉関係の仕事に携わってきました。
 ところが不思議なもので、その立場が突然としてやってきたのです。昨年4月に理療教育部長を拝命し、いわば校長先生のような立場に就きました。10月からは理療教育以外の就労移行支援事業も担当することとなり、気を引き締めて取り組んでいるところです。
 理療教育とは、視覚障害のある方にあん摩マッサージ指圧師、はり師、きゅう師となるために必要な知識と技術を習得していただく教育のことで、当センターが中途視覚障害の方に提供している内容は、あはき法上のあはき師養成施設であるばかりでなく、障害者自立支援法上の就労移行支援(養成施設)事業でもあり、学校教育法上の専修学校にも位置づけられています。受験学年生は、2月下旬の国家試験合格に向けて、眠れぬ夜を過ごしておられます。各教官も、全員合格を目指して必要な方に補習を重ねているところであり、緊張感は事務室にも充満しています。
 「学んで卒業時には合格しなければならない。しかし、何をどのように学べばよいか解らない」、これが利用者の皆さんが最初に直面する課題です。無理もないことで、視覚障害によって文字の使用もおぼつかない中、授業科目はそれぞれの実技に加えて東洋医学概論、解剖学、病理学、生理学など、これまで想像もしなかったものばかり、しかも多方面に亘ります。糧を得るために飛び込んだ世界とはいえ、おののくばかりの山の高さです。そして、ここにこそ教官の専門性が問われるのです。必要性がそのまま成績に変わる訳ではありません。経験のない分野にまず興味を持っていただく、そのためには、各人がどこまで知っているかを把握し、今後の授業進行の展望を示して、そこから出発しなければなりません。そして興味を持続していただく、そのために、自ら考える、発見する喜びを味わう機会を多数提供することが必要になります。「学ぶ」姿勢があって初めて「教える」ことができるからです。さらにどこまで理解できているかを常に確認して修正し、不安を取り除くことも重要です。
 このように教官は、教える内容を事前に十分整理しておくだけではなくて、クラスの利用者全員の理解を一歩進めるためのジグソーパズルのような準備や、興味を維持するための仕掛けを毎回用意し、進め方をイメージしておくことが必要になります。利用者の視力に応じて教材を準備し、先達としての体験も交えながらの、最大限効果的な授業運営が求められているのです。あたかも、岩場で足を踏み外さないように、疲れてその場にしゃがみ込まないように、険しい山頂をめざすガイドのようであり、自ら学ぶことの楽しさを演出する役者と言えるかもしれません。
 このようにして三年ないし五年の学業を終えた皆さんが、30回目の卒業式・修了式を迎え、多くの思い出と新たな決意を胸に巣立って行かれます。母校を預かる私たちは、既に卒業された多くの先輩と手を携えて、新たな卒業・修了生の皆さんを生涯支えていきたいと念願しています。
 昨年10月には就労相談室が誕生し、在学生、卒業生の就労支援が拡充されました。また、卒業生の皆さんで構成される各種団体の一つとして、昨年7月には「国リハ・ヘルスキーパー研究会」が結成されています。東京光明寮16年、東京視力障害センター15年、更に理療教育部29年の成果を継承する理療教育・就労支援部として、卒業生、在校生、そして職員が一丸となって新たな歴史を築いていきたいと思います。