〔巻頭言〕
国リハ図書室を利用して
中島八十一



 かつて中村隆一先生が総長の頃に、国リハの図書室について、他にはない図書があることを理由に挙げて、これは有用であるということを述べられたように記憶する。ひょっとしたらこの巻頭言であったかも知れないが、定かではない。うろ覚えの中からその時期をさぐっていくと10年近く前のことになり、私がこの機関に奉職してからいくらも年数が経っていない頃のことになろう。なぜ印象に残ったかと言えば、中村先生が誉めることが私には理解できなかったからである。どのくらいの印象の深さかと言えば、それを思い出してここに記そうとするぐらいと言えば答えになろうか。
 この10年近くの間、高次脳機能障害者の支援事業に携わり、その過程で北海道大学精神神経科教授であった諏訪望先生が1966年に頭部外傷の後遺症のリハについて触れた名文に接する機会を得た。「受傷時から職場復帰までの一貫したリハビリテーション施設の拡充強化が強く望まれる。(中略)頭部外傷の正しい知識に関する一般者への啓蒙、特に医師、関係官庁や法律家等の有機的関連が重視されなければならない」。この文章の示すところは、40年を経て色褪せることがないばかりか、そのまま実行すれば良いだけの内容を保持している。実は国リハというところがこのような受傷時から職場復帰までの一貫したリハビリテーション施設に該当することも良く認識した。
 救命救急を起点とする医療から就業支援に至るまでの道筋は、携わる職種が全くと言ってよいほどに変わるだけでなく、それぞれを研究する立場が医学から社会学に転換する過程でもあるとも学んだ。それぞれが独立した分業である間は、研究成果も同業者だけを相手に情報発信することを想定すれば良かったが、医学から社会学への転換を乗り越えて他業種の者が知りたいことを、理解できるようにして提供できなければ、本当のところで一貫したリハビリテーションを実現するための「知」を構築できるかどうか心許ない。
 そのように大仰に書かなくとも、長く国リハに勤めると、障害者が歩む医療から社会生活までの経過がどのようなものか知りたくなるし、知る必要も生まれる。病院で働く者にとって、最後の最後でどのような生活をしているのか、そこの時点での帰結を知りたいし、それが分からなければせめてデータを見てみたいものである。逆に就業支援をしている者からすると、最初の医療でどのような診断がなされ、この人は何ができて何ができないのか、知りたいことは山程ある。個人の病歴が手に入らなければ、せめてデータぐらいは見たいものである。このようなことは案外なことに、同じ職場の同僚や学会は必ずしも満足させてはくれず、その一方でこれらの知識を得ないことには業務そのものが浅いものになるという困ったことになりがちである。
 さらには国リハでは、一貫したリハビリテーションに留まらず、国全体に係るような大きな事業や政策に資するような業務を抱えることもしばしばである。政策的意味合いが自らの業務のどこにあるのか、どうしたら役立つのか分からないままでいてはデータの蓄積にも身が入らない。時には法令を紐解く必要もあるだろう。さすれば資料はどこにあるだろうか。
 今日資料の多くはネットで閲覧可能であるものの、まとまった知識を教科書を読むように身につけるにはまだ本に頼る時代ではある。しかも医療従事者が福祉のことを知りたいと思ったり、福祉に携わる者が医療を知りたかったりした時に、大学の図書館が十分かと言えばそうではない。自分の専門外でありながら知っておくべき事柄に関する図書が容易に見つかるのが国リハの図書室である。しかも、知りたいと思うことが教科書や雑誌以外の色々な資料の中にあることもしばしばであり、その点でも国リハの図書室は便利である。これが中村先生が述べられたことだと理解できるようになるのに、それなりの時間がかかった。国リハの図書室が有用であると理解できるようになるかどうかが、一人前と言われるかどうかの分かれ目かも知れない。