〔巻頭言〕
「目に見えない障害」について思うこと
病院副院長 田内 光



 最近、2回ほど聴覚障害者の団体のシンポジウムで話をする機会を得た。その折に感じたことは、本当に聴覚障害者は健常者と見た目には変わりがないということである。多くの聴覚障害を持った関係者が会の運営のためにテキパキと動き回り、自らの役割を果たしていた。彼らが聴覚障害を持っているということは、補聴器を付けていることや手話を使っていることでしか判断が付かないなと感じた。肢体不自由や視覚障害などの他の障害では、とてもこのようなスムーズな移動や動作は出来ない。それは見れば分かるゆえ手助けをしてあげようという気に自ずとなるものである。しかし聴覚障害者の動きをみていると、手助けなど必要ないと思ってしまう。何を手伝ったらいいか、手伝うことは無いのではないかと思ってしまう。しかしシンポジウムが始まり、手話通訳をしたり、要約筆記が行われたりするのを見ると、そうか彼らは聴覚障害者なのだと認識できる。彼らはコミュニケーションの障害なのだから、その面での手助けが必要なのだと理解が出来る。
 聴覚の障害は「目に見えない障害」であると言える。それは彼らの障害は見ただけでは判断しがたいからである。日常生活の中では健常者と変わらない行動を取れるからである。このことは聴覚障害者にはある面では非常にありがたいことである。障害者として差別を受けることはないからである。しかしこの事は、聴覚障害者にとって別の面で非常なマイナス面を持っている。それは他の人からは聴覚障害者とは分からず、そのハンディキャップを認知してもらえない事である。したがって聴覚障害者への支援なども、他の障害ほど目立たないので後回しになりがちである。この点で「目に見えない障害」であることは、聴覚障害者には非常に大きなマイナスとなっているのではと感じる。
 聴覚障害はその日々の生活を一時、すなわち点として見れば、さほど大きな障害とは感じられない。しかし、その視点を少し変え、線として経過を見ていくと、情報不足による影響は徐々に増大し、非常に大きなものとなってゆく。その障害は時間と共に積み重なり大きくなってゆく障害といえる。このことは先天性ないしは幼児期からの聴覚障害者を見ると理解できる。積み重なる情報不足は、教育面で学力や知識の低下を生み、社会性や情緒面での未熟さを生み、心理的な面や性格など人間性に大きく影響を及ぼす場合もある。このように時間を経るに従い積み重なり影響を増大してゆく障害は他には無いと言える。
 今年度になって全日本難聴者・中途失聴者団体連合会(全難聴)において「総合ヒヤリングセンター構想研究事業委員会」という委員会を開催している。これは、主として残存聴力を活かしている聴覚障害者を対象に、聴覚リハビリテーションの更なる向上を図り、それを支援する総合的な施策を実現する機関の設置を提言するためのものである。現在、全国に37の聴覚障害情報センターが設置され、聴覚障害者への情報提供を主体とした活動を行っている。しかしその内容は地域により様々で、聴覚を活用する聴覚障害者には十分なものとは言えないのが現状である。このような観点から聴覚活用を主体とした聴覚障害者への総合的な支援センターはぜひ必要なものであると思う。この「目に見えない障害」を持つ人たちにも、その障害の重大さを十分に理解して、温かい手を差し伸べてもらいたいものである。