〔巻頭言〕

ネコに鈴をつけたら安心?安全?
(イソップ物語変奏音雑感)

研究所感覚機能系障害研究部 森浩一


 ハイブリッド車や電気自動車(ここでは「HV」)は低速走行が静かだという特徴があります。しかし、人の感覚認知というのは不思議なもので、不快なはずの従来のエンジン騒音に慣れてしまうと、それがしないとかえって不安に感じるようです。不安どころか、音がしないと恐怖を感じる人達がいます。見えないために物体の知覚を音に頼ることが多い視覚障害者です。

 そこで、HVの販売が全乗用新車の1割を越えた平成21年に、学識経験者、視覚障害者団体、メーカー団体等からなる対策検討委員会が開催され、翌年1月29日に「ハイブリッド車等の静音性に関する対策について(報告)」が出されました。それを受けて、HVに発音装置をつけるべしとする「ハイブリッド車等の静音性に関する対策ガイドライン」が国土交通省より発行されました。米国でも今年1月に、車両の最低騒音レベル規制等を検討する法律が発効しました。(欧州政府の動きはないようです。)

 ところが、平成20年度の日本盲人会連合の調査では、HVの事故に遭った等の情報は寄せられていません。また、HVによる歩行者に対する事故の頻度は他の車種と変らないというデータもあります。パブリックコメント(平成21年11月5日〜12月4日)では、発音装置をつけるのに賛成の意見が61件、反対が93件で、反対の方が多かったのです。しかし、これらの結果はガイドラインに反映されませんでした。その理由は、推測ですが、視覚障害者の恐怖感があまりにも大きいということかと思います。

 視覚障害者は車に白杖を折られるなどの人身事故寸前の事態に遭遇しています(中野泰志 他、2005)。それのみか、被害者が視覚障害者だと知ると逃げてしまう運転者も結構いるそうです。したがって、視覚障害者が音もなく近づいて来るHVに恐怖を感じることはよく理解できます。

 しかし、発音装置をつけても問題が解決するようには思えません。なぜなら、視覚障害者への当て逃げはHV出現以前からあったからです。クラクションも聞こえない難聴者もいますから、車から音が出ていれば歩行者・視覚障害者がよけてくれると期待するのは間違いです。静かな路地等に発音装置で人工的な騒音を流すのは、住民にとって迷惑だという問題もあります。

 上述の検討委員会としては、運転者の交通マナーの問題を改善することは難しいと考えたようです。しかし、何十年もマナー向上運動をしても減らなかった飲酒運転が、厳罰化することで一挙に減りました。歴史から学べば、運転マナーに訴えても効果はなく、(障害者に対する)当て逃げを法律で厳罰化する以外に、視覚障害者の安全を確保し、恐怖感を根本的に解消する方法はないでしょう。

 最近は、レーダーやカメラを駆使して車が人にぶつかる前に止める装置が実用化されています。歩道を走る自転車の危険性が認識され、原則車道を走ることになりましたが、これは自転車に元々ある警笛(鈴)の有効性が低い証拠でしょう。ガイドラインは安心感を与えるかも知れませんが、発音装置の義務化よりも、これらの安全対策の開発・普及の方が、視覚障害に限定されない真のバリアフリーをもたらすのではないでしょうか。

 幸い、「このガイドラインについては、技術開発の状況等を踏まえ適宜見直すものとする」とありますので、当面は仕方がないとしても、視覚障害者の不安を根本から解決する方向に、そろそろ見直しをしていただきたいものです。