「塩原センター64年の歴史に幕」

自立支援局 自立訓練部長 小田島 明

 総務省の減量・効率化方針を受けて開催された、「国立更生援護機関の今後のあり方に関する検討会」において「利用実態等を踏まえ、全国的な視点に立って施設の統廃合を含む再配置を検討すべき」との提言がなされたのが平成21年3月です。それから早4年、平成24年度末を持って塩原センターは所沢に統廃合されました。この間の塩原センター職員をはじめとする関係者のご努力に心から敬意を表すものです。
 さて、厳しい寒さが続いた今冬を消し去るように暖かな3月8日、塩原視力障害センターの閉所式が執り行われました。参列者の一人として式典の様子を簡単に紹介いたします。  
 閉所式には、江藤文夫国立障害者リハビリテーションセンター総長や井上誠一社会・援護局障害保健福祉部企画課長をはじめ、お世話になった地元の方々や歴代の所長・職員等100人程が参加されました。式典開始前の幾ばくかの時間に懐かしい方々との再会を喜び合う声がそこかしこから聴こえて来ました。
 式典では先ず千葉一也所長が式辞を述べ、これまでの塩原センターの歴史や歩みを紹介と関係者への謝辞が述べられました。また、昭和23年からの64年間で、2,900名の視覚障害者の社会復帰を支えてきたと紹介されていましたが、この比類なき実績の重厚さに改めて感心した次第です。
 その後、江藤総長の挨拶を皮切りに、井上企画課長が厚生労働大臣の挨拶を代読され、続いて地域来賓の方々が挨拶をされました。中でも地元福渡地区の代表としてご挨拶いただいた田代芳寛氏からは64年を振り返り、塩原センターの存在がこの地域の大切な社会資源であり、利用者や職員等とは地域の仲間であったことを惜別の思い込め話されていたことが印象的でした。
 また、修了者を代表してご挨拶くださった渡辺浩氏は、一抹の寂しさと残念な思いがあるとしながらも、塩原センターとの出会いにより、その後の人生で治療院を続けながら、生活できたことに感謝の気持ちを述べられていました。
 この他、各来賓の方々から、塩原センターのこれまでの実績を称えるお言葉を多数いただきました。これを受け今後、塩原センターの実績に恥じない取組みを所沢でも発展させていく必要性があることを改めて思い知らされた次第です。
 来賓の方々のご挨拶の後には、これまでお世話になった地域の方々へ厚生労働大臣及び障害保健福祉部長からの感謝状と記念品が贈呈されました。医療機関や郵便局、さらにボランティアの皆様等、団体及び個人計10名の方々に贈呈されましたが、単に感謝の意を表す儀礼に留まらず、地域の多様な方々と塩原センターが共に歩んできたことの「証」を示すものであるように思ったのは私一人ではないでしょう。
 次に、職員・関係者全員による「所歌」の合唱を行いました。元職員である私も、当然歌わせていただきましたが、おそらくこれが最後の合唱となるだろうことから、隣の席にいた元職員が声を詰まらせる度に、釣られそうになるのを堪えながら歌わせていただきました。
 式典の大詰めは、センター旗の降納と返還です。式典壇上後方の壁に掲げられていた塩原センター旗が、音楽に合わせゆっくりと降ろされます。降ろされたセンター旗は丁寧にたたまれ、千葉所長から江藤総長へ手渡されました。この手渡しを「返還」と称しているのですが、私には、リレーの「バトン」や駅伝の「たすき」を受け取るような緊張と責任を感じさせるものでした。
 最後に、司会者が式典の閉式を伝えると、期せずして会場から「ありがとうございました。」と声がかかりました。するとそれが合図であったのごとく、参列者から拍手が沸きあがりました。そのやさしい拍手の音に緊張が解け、参列された皆さんがにこやかな顔になっていたことが印象に残ります。シナリオにない全くのハプニングでしたが、人を包み込むような深山幽谷の自然と人々の優しさが溢れる塩原センターらしい、出来事であったと思います。




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