聴覚障害者用情報保障装置(ステノプコン)


 講演会・集会などにおいて聴覚障害者への音声情報を伝達するための情報保障手段としては、手話通訳や要約筆記、磁気ループなどが使われることが多い。この中で文字言語で音声情報を伝達する要約筆記は、主として手話を知らない中途失聴・難聴者に利用されている。しかし、手書きの速度が遅いために熟練した要約筆記者でも話の内容のほんの一部しか伝えることができないこと、書かれる文章の質は筆記者の能力に左右され、主旨が間違って伝達される場合もあること、要約筆記者の目や腕の健康を害しやすいこと、などの問題点が指摘されている。これらの問題点を解決するために、通常の速度(漢字かな交じり文で300〜350字/分)の話を要約することなく全文をリアルタイムで文章として表示する情報保障装置を開発した。
 リアルタイムで音声を記録する方式に関しては、音声認識技術はまだ実用段階になっておらず、特定話者や限定語彙などの制限をつけなければ使用できない。そのため、人間が認識した音声をなんらかの方法で記録しなければならない。通常使用されるテープ録音は後でテープ起こしの必要があり、使用できない。カナタイプ、M式、日本語ワープロ、点字タイプなどの入力方法を記録速度の面から比較検討した結果、通常の話の速度で長時間疲労せずに記録できる方法は速記以外にないことが明らかとなった。速記は特殊な速記記号で記録するため、リアルタイム音声文字変換を実現するためには、リアルタイムで速記記号を文字に再変換(反訳)する必要がある。このリアルタイム反訳を行うためには、速記記号をコンピュータで自動反訳すればよい。このコンピュータへの速記記号の入力の容易さに関して考察した結果、リアルタイム音声文字変換に最も適した速記は、日本で唯一の器械速記であるソクタイプ式であることがわかった。
 ソクタイプは昭和20年代に開発されて現在まで使用されている速記法であり、速記者は全国に約1000人いるとされている。その性能は長年の使用で実証されている。ソクタイプのキーボード配列を図1に示す。


図1 ソクタイプのキー配列

 そこで、ソクタイプの同時打鍵入力特性、聴覚障害者への最適文字呈示方式などのヒューマン・マシン・インタフェースに関する実験結果及び考察に基づき、講演会場などにおいてリアルタイムで音声を文字化し、複数の聴覚障害者に呈示する情報保障装置を開発した。このシステムを速記式音声変換装置(STENograph OPerated speech CONversion system)の英字の頭文字をとってステノプコンシステム(STENOPCON system)と呼ぶこととした。そのシステム構成を図2に、その入力部の外観を図3に示す。ステノプコンシステムは、同時打鍵入力の作動力特性を考慮して作成した入力部、リアルタイム自動反訳と修正作業を行うパーソナルコンピュータからなら処理部、及び文字の表示を行うビデオプロジェクタやOHPからなる表示部より構成される。音声は速記者によって同時打鍵式の速記キーボードか速記記号で記録される。この速記記号はパーソナルコンピュータに送られ、自動反訳されて、画面上に表示される。この文章を修正者が修正・確認し、表示部から呈示する。呈示された文章は同時に磁気記録される。


図2 ステノプコンのシステム構成


図3 ステノプコン入力部の外観

 速記の自動反訳は人間が行うアルゴリズムと同時に行うが、速記文法のあいまいさから複数の訳語候補のある場合がある。この場合にはそれぞれの訳語の優先度を評価し、最も可能性が高いと判断された訳語を表示する。この際にリアルタイム性を考慮し、細やかな文法解析等は行っていない。速記は本来音のみを記録しているので漢字の区別はできない。また、現在の自動かな漢字変換の精度は低い。そのため自動反訳では同音異義語のない語のみ漢字表記する。また、速記文法の分析を行い、その結果を利用して、自動分かち書き表記を実現している。また反訳時に入力ミスの一部を自動的に訂正するための方式を提案し、組み込んでいる。
 リアルタイム修正機能については、速記文法の特徴を基に開発した。挿入・削除・カーソル操作などの通常の編集機能のほかに、ひらがなカタカナ変換、濁音変換、同音助詞変換などステノプコン特有の機能を付加した。また、あらかじめ入力してある文章を順次表示する機能や、表示画面の文字の大きさを変更する機能、速記者が入力練習を行うための機能なども用意した。またよく使用する用語を効率よく速記記号に登録するための速記辞書管理ユーティリティを作成した。
 次にステノプコンシステムの操作者の養成を行った。速記者としては、ソクタイプの速記者に対してステノプコン固有の速記記号を覚えさせた。またこのシステムが将来普及した場合の速記者の養成を考慮し、視覚障害者の速記作業に対する適性を調べるために、全盲者1名を速記者として養成する試みを行った。その結果、速記作業を行えるようになり、視覚障害者がステノプコンの速記者としての十分な能力を有することを確認した。修正者に関しては、養成プログラムを作成し、日本語ワープロが操作可能な人を対象に養成を行った。
 テープ録音された講演を用いて、ステノプコンシステムの評価を行う実験を行った。その結果、ステノプコンを用いて通常の速度の話を要約せずにリアルタイムで文字化できること、表示される文章中に含まれる漢字の割合は10%程度と少ないこと、熟練した速記者と修正者が操作すれば音声文字変換における間違いの割合を1%以下にすることができることが明らかとなった。
 このステノプコンを実際に聴覚障害者の国際会議・全国大会・小規模集会等で200回以上にわたって使用し、聴覚障害者や団体関係者などの意見を聴取して評価を行った。その結果、ステノプコンは文字による情報保障装置として非常に有効であること、他の情報保障の補助手段としても有効であることが分かった。また、問題点としては漢字が少なくて読みづらいことを挙げる人が多かったことなどが明らかとなった。
 現在ステノプコンは、当センター更生訓練所で使用されている他、日本障害者リハビリテーション協会にも導入され、聴覚障害者への情報保障サービスを行っている。このシステムはリアルタイム音声文字変換を実現するはじめてのシステムであり、福祉用以外にも多くの分野で有効に活用できる可能性を有している。

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