[随想]
指導課長 杉江 勝憲



 伊東へ向かうとき、小田原で乗り換え、早川の次が根府川である。早川を過ぎると間もなく、左手に海、相模湾が見えてくる。青い海と黒いトンネル、緑のみかん山が交互に繰り返され、列車は根府川駅のプラットホームへ滑り込んで行く。伊東に赴任していた時、この瞬間が祝福の時間であった。下り立ったことのない根府川駅の1、2分であろう停車時間に車窓から見える海、相模湾は遥かな水平線を描き、季節ごとに海の色を変えていたが、その期待を裏切ることはなかった。
 熱海から、伊豆急線で二つ目の駅が伊豆多賀である。伊豆多賀を出ると列車は下り坂に入り、やわらかいカーブを描いている網代湾に添いながら進み、車窓からの静かな海面は家々の合間に見え、網代駅に到着すると海と同じ高さである。車窓のフレームの中で海面が昇るその時間も楽しみであった。
 宇佐美駅を出ると間もなく、列車は急カーブへとさしかかる。宇佐美湾が終わろうとしていて、海が最も線路に近づく時間である。列車の軋む音と海が前方から近づいてくる数十秒の時間は何か胸をしめつけるものがあった。
 幼いときから、海の近くに住みたいと思っていた。福岡に赴任して、それが実現した。福岡センターの職員宿舎は高台にあり、南のベランダからは今津湾、北側の窓からは玄海灘が元寇防塁の松林の向こうに見えた。センターに出勤する時、3階の階段を下りながら見える玄海島と青い海は通勤のプロセスとして最高であった。また、夏の日、今津湾の向こうに打ち上げられる花火をビール片手に観るひと時は夏そのものであった。春浅い日、博多湾に突き出た毘沙門山から見える志賀島、玄界灘はその先にある朝鮮国、中国を思い起こさせ、遠い昔、歴史の流れを感じさせた。

 海とは何だろう。

 学生時代に観た映画「気狂いピエロ」の最後のシーン。主人公がダイナマイトを体に巻きつけ自爆した後、スクリーンはゆっくりと青い地中海を映し出し、しばらくして、「永遠、それは太陽が溶けた海」と字幕が出て終焉となる。
 根府川の駅から見える海も太陽が溶けていた。