〔巻頭言〕
30年を振り返って
管理部長 難波 弘

 


 このたび、4月の異動で管理部長に就任いたしました。御指導のほどよろしくお願いします。前職は当センターを含む国立更生援護機関を所管する立場(障害保健福祉部施設管理室)で仕事をしており、異動直前の3月25日に有識者による「国立更生援護機関の今後のあり方に関する検討会」の報告がなされ、一安心もつかの間これから実行する立場となり、複雑な思いがしております。
 まずは自己紹介をさせていただきます。
 出身は大分県で昭和27年生まれのてんびん座、体格は「標準(173センチ、65キロ)でウエストはメタボ境界線」、家族構成は「妻、娘2人、義母、甥、姪の7人」、趣味は「盆栽」、血液型は「AB」、性格は「熱しやすく冷めやすい」(言い換えれば飽きっぽい)は偽らざる事実です。
 国立更生援護施設での勤務は、採用が別府重度障害者センター(約4年間)で、その後身体障害センター(約3年間)、当センター(席のみ)に在籍し、相当の空白期間を経て神戸視力障害センターの2年間で通算10年になります。 表題の「30年を振り返って」とした理由は、当センターの設立準備に関わった者として、当時の記憶を蘇らせ、当センター設置の背景とこれまでの実績、今後進むべき道を模索するためにあえてこの表題にしました。
 私自身は昭和52年8月に当時のリハビリテーションセンター設置準備室(S50.5設置)に異動になり、在籍約3年間は組織関係を中心に担当し、昭和49年の「リハビリテーションセンター設置に関するマスタープラン研究会報告」に基づく新たな組織の検討や新組織へ在京三センターの職員(約200名)一人ひとりを振替したときの苦労が記憶として残っています。
 当センター設置については、ご案内のとおり昭和40年代の身体障害者福祉審議会の答申にあるように、「各種リハビリテーション施設のモデルとして身体障害者の医療から職業訓練までを一貫して実施する国立施設を設けるべき」とし、その場合、「医学的、社会的、職業的リハ部門を整備するとともに、研究開発や養成部門の機能を総合したリハビリテーションセンターとすることが適当」としたことからはじまっています。
 昭和48年の「リハビリテーション研究調査会報告」及び昭和49年のリハビリテーションセンター設置に関するマスタープラン研究会報告」を経て、昭和49年度予算(特々会計)で基本設計料が計上され、昭和51年8月の建設用地の所管換、同年9月から建設工事に着手し、昭和54年7月に発足の運びとなったわけであるが、当センター設置の構想が持ち上がってから発足までに十余年の歳月を要した大プロジェクトと言えます。
 現在、国立更生援護機関の今後のあり方の議論がなされているところであるが、その背景には、我が国は少子高齢社会となり、社会構造が変化する中で、障害者を取り巻く環境もノーマライゼーションの理念の浸透や社会保障制度の充実などにより大きく変化し、一方、国立施設については、利用者が減少傾向にあるとともに、利用者の高年齢化、重度・重複化、医療的ケアを必要とする者の増加など利用者の障害状況も大きく変化している中で、今後の国立施設の役割及び持つべき機能について、将来を見据えた見直しが必要となっています。
 国立更生援護施設は戦後間もない時期に設置され、身体障害者福祉法に基づく更生施設としてその役割を果たすとともに、当センターにおいても、本年が発足30年の節目に当たり、これまでの歩みを見ればその役割を果たし、初期の目的は達成されたと考えるべきであり、ここらで一度リセットをし、思考回路を未来志向に切り替える時期にきていると考えます。
 私見を述べさせていただければ、障害者のナショナルセンターとして、その役割を果たすためには、次の主要課題をクリアする必要があります。
  ① 障害全体を視野に入れた対応(医療、福祉、研究開発、人材養成等)
  ② 運営の中期目標及び計画の策定(部門間連携と組織の新陳代謝)
  ③ エビデンスに基づく政策提言(臨床データの集積と企画戦略の強化)
  ④ 関係機関等とのネットワークの構築(旗振り役と情報の送受信)
  ⑤ 障害当事者が必要とする情報の提供(医療、福祉、雇用等の総合相談)

 今回の「国立更生援護機関のあり方に関する検討会」の報告を受け、当センターを含む国立施設の機能の一元化と組織のあり方について具体的検討を行うこととなるが、国立施設として、先の主要課題はもとより障害者の自立と社会参加を進めるためにどのような役割を担い、その役割を担うために必要な機能は何かを更に吟味した上で、今後のナショナルセンターとしての組織及び体制づくりを考えていきたい。