[随想]
「人生いろいろ」
病院医療相談開発部長  佐久間 肇



 医師として社会に出て、二十数年。これまで大した苦労もなく暮らしてきたのであるし、まだまだ人生を語れる歳でもないが、内科医・神経内科医・リハ科医として患者・家族と接することで、多くの人生模様を見てきた。
 病気・障害は、患者さんの人生を大きく変えるが、周囲の家族にも大きな変化をもたらす。勿論、多くの場合、患者さんは善良であるし、家族もまた善良であり、この人生の変化の責任は患者さんにもその家族にもない。
 病気・障害についての反応やその人生におよぼす影響はさまざまである。病気・障害を共有するかのごとく、毎日のように病院に日参して、回復の思わしくないことを嘆き、患者さんと一緒に、病気・障害の原因について悔やみ続ける家族がいる。気持ちはいつも後ろ向きで、将来設計はなかなかたてられない。一方、まるで患者さんの病気・障害をひと事のようにしか捉えられない家族がいる。入院した本人をほとんど見舞うこともなく、患者さんの将来について相談しても、人任せである。また、別居していて離婚間近の夫婦が、病気や障害を機に縁りを戻すことがある。問題を夫婦で共有できたことが良い結果を生んでいるのかもしれない。長く仲良く暮らしてきたと思われる患者さん夫婦の生活に、親族が口をはさむようになったことで、離婚にまでなってしまう不幸もある。病気・障害といった異常事態が、二人だけだった世界に、第三者が大きく関与してくる、あるいは、関与せざるを得ない状況を生んだ結果である。患者さんの障害保険金を狙って、今までほとんど付き合いのなかった兄弟が足繁く見舞いにくるようになることがある。そして、親切を装って患者さんの財産の管理権を握り、自分たちのためにだけ流用してしまうような人がいる。しかし、患者さんは、必ずしもこの状況でも兄弟を憎むことはしない。見舞いにきてくれることだけでも感謝し、満足しているのである。
 人生、いつ何が起こるか全く予想ができない。そして、その事件に対応する方法に、正解がないことも多い。また、その人がその時に置かれた環境によって、同じ人間でも幸福感は大きく変化する。病気・障害をもって、それまで気づかなかった些細なことが、大きな幸福感をもって身を包み込むこともある。
 まさに誰かの歌ではないが、「人生いろいろ」である。人の数だけ人生があるが、一人の人間をとっても、さまざまな人生の岐路で、自己決定によって選択した人生を歩んでいる。その決定が異なれば、また違った人生があるのである。また、傍から見て理不尽に思えることも幸せと感じられる人生があるのである。
 患者さんやその家族が、将来を見出せずにいれば、未熟な人生経験でも、主治医としてアドバイスをしなければならない。それは、その医師自身の人生経験と、それまで接してきた患者さんとその家族を通じてそれまでに疑似体験して得た人生観・幸福観によるしかない。ここには正解などない。重要なことは、最後には患者さん自身が、自分の信ずる決定をする、ということである。これは、自分の人生であるのであるから至極当然のことであるし、尊重されるべきことである。
 しかし、いつも危惧することは、病気あるいは障害をもった者にとって、その病気・障害が重ければ重いほど、その選択肢が狭いことである。そして、入院している状況では、その決定を急かされる場合が多いことである。この状況での医療者としてのアドバイスは、注意しないと強制になりかねない。人生の大きな岐路での、その方向性の決定には、もっと選択肢が欲しいし、時間も欲しい。福祉・医療の大きな課題であると思う。
 最近、私の9歳になる息子に「将来何になるにしても、勉強しなさい」というと、どこで覚えたか、「人生いろいろ」と言って茶化してくる。確かに、人生の選択肢の多い子供時代は、ハッピーである。障害者にとっても、障害をもってからの人生の選択肢をより多い、ハッピーなものにしたいものである。