〔随想〕
煙草(タバコ)
職能部長  塩出 博司



 欧州連合(EU)では、タバコのパッケージに「喫煙は殺人」という警告 の表示が義務づけられた。また、ビートルズのアルバム「アビイ・ロード」 のジャケット写真が禁煙団体の圧力でタバコの写っていた部分が変造 (消去)され、ポスターとして売られていたらしい。世界中で巻き起こる タバコバッシングは止まるところを知らないようだ。
 昨秋、千代田区では歩きながらタバコを吸う者に対して罰金を徴収 する条例が施行されたが、わが町小金井市も路上喫煙を禁止する条例 が成立しそうな気配である。
 分煙は今や当たり前であり、職場をはじめ公共施設、飲食店、車両など で喫煙する場所がますます狭められつつある。当センターも分煙の徹底 が図られることとなった。
 一体、タバコというのは害ばかりで益するところは何もないのだろうか。
 そもそも、タバコはコロンブスがアメリカ大陸から持ち帰りヨーロッパに 広まった時は薬だった。日本でも喫煙の習慣は16世紀終わりに伝えら れたが、その後の相次ぐ禁煙令にもかかわらず庶民の間に広まったのは それなりの効用があったからである。
 タバコは心理的緊張力を高め、それが精神的な作業能率や注意力を 向上させる。しかし、吸う量が増えれば逆に心理的緊張力を低下させ、 夢想や空想を引き起こす。この両者のバランスがうまくいけば創造的活動 を生み出すらしい。体内への摂取量に配慮すれば人間にとって有益なのだ。
 「タバコは文化である。」と山崎正和氏(劇作家)はいう。共感できるので、 氏が投稿した新聞コラムの一文を抜粋したい。
 『いわば文化は身についたくせであり、意識と身体との接点に成立する 傾向だといえる。酒や砂糖への欲求も、一日三度の食欲も自然ではなく 文化の産物である。(略)自然の欲望は無限の拡大をめざすが、それが 生理的にむりであり、逆に苦痛をもたらすという自覚から文化が生まれた。 たばこを連続して10本も吸えば、健康に悪いというまえに嘔気を催す。 楽しみのためにこそ満足を遅らせる必要があり、文化はそのために儀式性 という仕掛けを造った。(略)喫煙にも古くから儀式性があって、たんなる ニコチン接種の過程に豊かな世界があった。パイプやたばこ入れに凝り、 味と香りにこだわり、紫煙のなかの会話を含めて楽しむのが喫煙である。』
 氏は、このような豊かな世界が20世紀以降壊されたという。そして、最近の 嫌煙運動の功績を認めつつ、『求められているのは文化の回復なのである から、分煙のための優雅な施設、ゆとりある喫煙時間の確保に努めるべき だろう。反面、嫌煙の側もそれが文化運動であることを自覚し、その過程と 手法にゆとりを持つことが必要だろう。』と説く。
 私はタバコをこよなく愛する者であるが、2年前から吸っていない。健康上 の理由でやめたわけでは無論ない。確かに一部の喫煙者のマナーは最低 である。自分も含め反省すべきだろう。しかし、ヒステリックに高まるタバコ追放 の波に逆らって吸うタバコが不味くなってきたことは事実である。禁煙すると タバコを吸うために使っていたモノや時間が別のものに置き換わり面白い 発見ができると禁煙のハウツー本に書いてあり、自分も試してみようと思った ことも引き金になった。
 意に反して新しい発見は今のところなく、体重が5kg増え、醜くなったお腹 のまわりを眺めている。もしかして、このお腹が「発見」だったのか。いまや 肥満こそは高血圧、糖尿病、心臓病の元凶といわれる。タバコの健康被害 よりも肥満による悪影響のほうがもっと危険であり、心配しなければならない とは皮肉なことである。多くの愛煙家には、どうか意志を強く持って吸い続けて もらいたいと願わずにはいられない。今、私は休息中だが、将来、喫煙者にも 相応の人権が保障されるようになった頃に再び仲間入りをし、タバコの効用を 存分に享受して優雅にパイプを燻らせ、至福の時間を過ごしたいと思う。