随 想
「単身赴任」
研究所企画調整官 本村光節



 二年ちょっと前、人事の巡り合わせか中年を過ぎて大阪に 単身赴任する羽目になった。正確に言えば二十数年前の結婚 したての頃、東京に出てきて半年ほど単身で生活したことが あったから、二度目の経験ではある。その当時は、初めての 本省の仕事で右も左も分からず、ただ忙しく夜遅くまで居残り、 職場と宿舎の往復で周りをみる余裕もなかった。また、福岡 と東京では毎月帰るわけにもいかず、休みの日の楽しみ方も 知らずに殺伐とした生活を送ったように思う。
 今回は、親子5人の世帯から小生一人が住居を別にして 生活するのであるが、妻も子供もそれぞれが、毎日一つ屋根 の下で顔を合わせ無くてよくなることに、少しホッとして 喜んでいる風が感じられる。こちらとて中年の単身赴任の 気楽な生活を楽しんでやるぞと、覚悟を決めたのであった。
宿舎は八尾の合同宿舎である。昭和43年築というから 稲毛海岸住宅と同じで四畳半二間と六畳の3Kである。 当時の我々がそうだったように、宿舎には若い夫婦と子供が 一人又は二人という世帯が多く、稲毛海岸にすんでいた当時 にタイムスリップしたようだ。
 単身の生活は、毎週1回の洗濯と掃除、週2回の生ゴミ出し、 月1回のワイシャッ等のアイロンかけなどが定例の主夫業 である。もちろん食事は自炊である。
 大阪は食い倒れの町と言われ、食べ物がとにかく安く ボリュームがある。おまけに丼物にうどんとか、カレーとか 種々雑多な取り合わせが、東京では考えられないほどに自由 である。しかし、毎日毎日、同じようなメニューと味の外食に 飽きが来て、今日の昼食は何にしようかと悩むことが多くなり、 三ヶ月を過ぎた頃から自炊を始めた。
 毎朝6時半頃から朝飯を食いながらの弁当づくりは、結構 あわただしい。1時間くらいかけて作った弁当は、10分ほどで 食べてしまい、昼休みはのんびりNHKの連続ドラマの鑑賞だ。 「ちゅらさん」「ほんまもん」、「さくら」、「満天」をほ とんど欠かさず見てしまった。
 食材は、毎夕仕事の帰りに買い求めるのだが、腹が減って いるせいか、つい多めにあれもこれも買ってしまい、冷蔵庫 の片隅に置き忘れ、賞味期限を過ぎて捨てることが多々あった。 毎日同じメニューでは飽きがくるし、かといってメニューを 変えれば、使わない食材がいつまでも残って腐らしてしまい、 食物を無駄にしてしまうことになる。自炊のコツは、冷蔵庫 に何があるかを常に記憶し、その上で計画的に食材を購入す ることが大事で、日常的に料理をしている女性が呆けずに、 長生きする者が多いのも頷ける気がする。
 休みの日は、掃除洗濯を済ました後は、ぶらりと古寺巡りだ。 法隆寺までは大和路線で約30分である。法隆寺は世界遺産に 指定されてから、観光客のためにきれいに整備され過ぎた感 があるが、千五百円の拝観料を払って一歩中に入ると、五重塔 や金堂、南大門のエンタシスの柱は、さすがに他の寺院より 歴史を感じさせる。有名な金堂の薬師如来、宝物殿の玉虫厨子、 百済観音像もいいが、法隆寺の隣にひっそりとたたずむ中宮寺 の弥勒菩薩がいい。少し黒ずんではいるが、半伽思惟像でアル カイックな微笑みが、見る者の心を和ませる。聖徳太子を偲んで 織られたという天寿国繍帳もある。聖徳太子をたどって明日香 まで行くと、太子が生まれたという橘寺が、千四百年の時を経て 田圃の中に往時を偲ばせる。明日香は蘇我馬子の墓といわれる 石舞台や、高松塚古墳、キトラ古墳などが有り歴史の宝庫である。 周りが畑やたんぼで観光地化されていないのがまたいい。田舎道 をぶらぶら歩きながら、気ままな一人旅を楽しむことができた 二年三ヶ月の単身赴任生活だった。