〔巻頭言〕
更生支援と忠恕
更生訓練所所長 江藤文夫



 更生訓練所の「更生」はリハビリテーションの訳語です。厚生労働省の「厚生」は書経 から字句を選んで造語したとされますが、更生についても中国の古典に由来します。漢語 では荘子達生篇の導入部分に、「正平なれば則ち彼と更生す。更生すれば則ち幾(ツク) す。(正平則與彼更生、更生則幾矣)」があり、文字通り「生まれかわること」を意味し ます。われわれは辺境の地である東海の小島にあって、つい最近までは中国大陸に学び、 日本語を形成してきました。19世紀の後半からは、それまで長いこと禁断としてきたキリ スト教を基盤として発展してきた西洋近代社会のやり方を導入し、20世紀後半からは全面 的に受け入れ、政策的にも普及に努めてきました。今世紀に入って、情報伝達の迅速化に あわせて改革のテンポはまことに急です。
 かつて英国での個人的経験で、知識人の日本に対する関心は高いものの、一般人は日本 をリバーサルの国(右が左で、白が黒の国)と公言するのを聞いて反発したものでした。 しかし今では、全くそのとおりだと思うこともあります。仏教が伝来して、日本仏教が確 立されるまで数百年を要しました。遣唐使の時代、孟子を積んだ船は神風に遭うと言われ、 孔子の教えが日本的儒教として定着するのは江戸時代のことです。
 リハビリテートやリハビリテーションの言葉は、医療の分野で汎用される以前には犯罪 者が罪を相殺して市民権を回復する意味でもっぱら使用されていたことから、イメージ的 に更生が思いつかれたものと感じます。さすが、かつての日本人は伝統に則して、すぐれ た漢語表現を考えたものです。病気を意味する英語表現の第一はillnessでしょう。illは 古くは道徳的に邪悪、罪悪を意味します。さらに人間そのものも原罪を負った罪深き存在 であるとのことです。wellに対するillですが、ill-beingはともかくwell-beingはいまだ 訳しきれていないようです。最近は、幸福の概念として論じられ、happinessとは異なる幸 福感の側面と理解されています。WHOの健康の定義に使用されたことで、わが先達は面食ら ったらしく、昭和26年の官報掲載訳では「福祉」、その後は「安寧」といった訳語が当て られたりしています。
 日本に西洋式の病院が建設されたのは明治時代になってからのことです。慈善に加えて 治安維持的趣旨を持つ西洋の病院の起源に共通して開設され、今日に至る例として東京都 老人医療センターがあります。養育院と呼ばれたこの病院は、江戸時代、松平定信による 窮民救済のための七分積金に端を発するとされます。明治5年、ロシア皇太子の訪日に際 して治安維持のため東京府は、この行旅病者収容の施設を設けました。その後、私財を投 じてこの施設を西洋式の病院のイメージに適うものとしたのは渋沢栄一です。92歳で没す るまで58年にわたって運営に尽くし、生死の間にありながらうわ言にまで養育院のことを 口走ったことが当時の新聞報道に見られます。渋沢は日本資本主義の創始者であり偉大な 社会事業家として知られます。彼は被収容者に接する態度、基本精神として「忠恕」をも ってすることを強調しました。これは、今日批判にさらされているパターナリズムの類で あり、共生という理念とはかけ離れたものですが、当時の国際的感覚からは彼の説くパタ ーナリズムも非難されるべきものではありません。ちなみに、他者への直接的仁の供与が 忠であり、行動における恕と一体化した概念が忠恕です。言葉としての忠は、相手の立場 に立って親身に考えて語ることであり、行動としての恕は、相手に自分の望まないことを せず、時には相手に自分の望むことをすることとされます。
 いまどき、この様な話題を取り上げることは時代錯誤もはなはだしいと思われるかもし れませんが、西洋文化のルーツを共有しないわれわれにとって、更生という文字は使用継 続すべき貴重なものであると考えます。