〔研究所情報〕
重度障害者の自立移動を支援する技術の開発
−“できる”を大事にする技術開発−
研究所福祉機器開発部室長
井上 剛伸



 “しょうがい”をどう捉えるかということは、おそらく長い社会福祉の歴史の中で、多くの議論がなされてきていると思います。“できない”と考えるのではなく、“できる!!”と考えることで、多くの効果が得られることもこれまでに示されてきていると思います。現在、研究所で進めている、自立移動機器の開発プロジェクト(平成16年度〜18年度)では、“できる”ことがとても限られている方々の“できる”をもう一度考え直し、それに貢献できる技術開発を行っています。このプロジェクトは、産業技術総合研究所、東京大学との共同研究として行っており、それらの研究機関で持っている最先端の科学技術と、我々研究所で持っている障碍者に役立つ機器開発のノウハウを融合し、先駆的な技術としてまとめ上げようという取り組みです。
 図1にこの研究における技術開発の概要を示します。ここでは、“できる”に対して、2つの側面からアプローチを行っています。一つは、個々の“できる”を活かす技術です。“重い障碍があっても、神様は何か一つできることを残してくれているものなんですよ。”重度の障碍のある方のお母さんから頂いた一言です。限られてはいるものの何か“できる”ことがどこかにあるはず。それを技術はとらえるべきではないか。そんな思いを込めた開発です。もう一つは、“できる”を拡げる技術です。全部自動化するのではなく、必要な支援を適度に行う。そのために、操作する本人、介助者、機械の三者で受け持つ、安全と安心のための技術開発を行っています。具体的な開発項目は以下の通りです。
1)非拘束非接触動作認識技術:脳性マヒ者等の、不安定な身体の動きを検出して電動車いすを操作するための技術です。現在は、頭の動きを検出することをターゲットとしています。
2)不明瞭音声認識技術:脳性マヒ者などの不明瞭な音声を認識し、電動車いすの操作を行います。
3)力覚検出技術:筋ジストロフィー患者等を対象として、その微弱な力を検出し、電動車いすの操作を行います。
4)筋電検出技術:筋ジストロフィー患者等を対象として、残存する筋活動を検出し、電動車いすの操作を行います。
5)危険検出・回避技術:球面状に36個のカメラを配置した、全天周全てお見通しのセンサーを利用して、障害物や段差を回避します。
6)遠隔支援技術:離れた場所にいる介助者と、画像や音声を使ってコミュニケーションをとることができます。
7)電動車いすシミュレータ:ドーム型のディスプレイを設置し、より臨場感をもって電動車いすの操作体験ができます。隠された操作能力を、引き出すことに大いに役立ちます。
 ここで、音声認識システムを使って参加した運動会のお話しをご紹介しましょう。時は平成18年五月晴れのある日。みんなの必死の努力の甲斐あり、どうにか仕上がった音声認識電動車いすが、会場に運び込まれます。乗るのは加藤泉さん。これまで、声で動かす電動車いすの練習を続けてきました。少し緊張気味です。声はちゃんと出るのか、そしてその声を機械はちゃんととらえてくれるのか、心配がいっぱいです。今回はとにかく一人で、横に誰もつかずに80m走り抜くことを目標にしました。“よーい、どん” あれっ、動きません。ちょっとスタートはお手伝いしました。が、その後も音楽と声援の影響で、うまくコントロールができません。お母さんが走ってきて、“もうやめにしましょう。”私も、“そうだね。次の組の迷惑になるからね。”お母さんは、放送の所に行って、もうやめにするので、次の組をスタートさせるように話しをしてきました。コースを外れた泉さんの横を、次の組が走り抜けていきます。大きな後悔と共に、泉さんを眺めていると。おやっ、走り続けているではないですか!!あれっ、コースに戻ってきた!!すごい!!!泉さんはあきらめていなかったのです。すごいのです。NHKよると7分かけてのゴールだそうです。すごい7分間でした。

 このプロジェクトは、技術開発を主目的としたプロジェクトです。しかしながら、その技術開発を支えているのは、当事者の方々なのです。当事者の方々がこうありたい、と思わなければ、いくら技術があっても役に立ちません。(ただし、対象によっては別のアプローチを考える必要もありますが)重度の障碍のある方々で、あきらめてしまっている人たちもたくさんいるように思います。何か“できる”。そんな思いを広げていきたいというのが、本音のプロジェクトです。

※ 加藤さんのお名前は、ご本人およびご家族のご了解をいただいて、記載させて頂きました。


 
  (図1)科振費プロジェクトにおける自立移動機器の開発概要  
図1 科振費プロジェクトにおける自立移動機器の開発概要

 
  (写真)見事に完走しゴールテープを切る加藤 泉さん  
見事に完走しゴールテープを切る加藤 泉さん