〔巻頭言〕
たかが英会話、されど英語
副院長 赤居 正美



 近年、当センター研究所の流動研究員に外国籍の研究者が採用され、また日本学術振興会からの交流事業での外国 人研究者の招聘も頻繁に行われるようになった。我々の部署でも、必ずしも英語を母国語とするとは限らない、こう した外国の方々と、日常的に英会話で意思疎通を計るということが、ごく当たり前になってきた。つまり、母国語で はないもの同士が、共通言語として英語を使うのである。
 医学に代表される自然科学の領域では、コンピュータ技術の進歩に基づくデータベースの構築、情報知識の蓄積が 大々的に行われ、そこに使用されている基本言語と云うことから、好むと好まざるとに関わらず英語がde factoの世 界共通語として通用している。この枠組みの中で、我々が海外に向かって情報発信を行おうとすると、否応なしに英 語を使わなければならないとの状況が実在するのである。この現状は単に国際学会における発表の多くが英語で行わ れるといった問題には留まらない。その学問領域の知識蓄積・交換がどの程度まで速報性を伴った論文発表という形 式での書誌情報に因っているかという問題に絡んでいる。したがってこうした動きの進行程度には研究分野によって 差はあるだろう。書籍というかなりの分量を必要とする発表形態が多くを占める分野では、まだまだ違う考え方もあ るかもしれない。しかしインターネットに代表される情報知識の蓄積・交換のコンピュータシステム自体は、自然科 学に留まらず人文科学、社会科学にも普遍的な流れである。
 英語が母国語ではない研究者にとっては、日常の各種研究活動などは母国語で行い、国際的に情報発信を行う際に は英語を使うという2重性の重圧をこなさなくてはならない。反対に、英語を母国語にしている人々はそうしたハン ディはなく、ごく有利かといえばそうでもなく、今や世界中が競争相手になっており、それはそれで大変と聞いたこ とがある。
 我々もこうした国内と国外活動のジレンマの中にあるが、電子データのやりとりという枠組みは間違いなく日進月 歩で進んでいる。従来郵送していた論文投稿は、インターネットを使ったオンライン投稿によって行われ、論文査読 に際して読んでもらいたいレフリーを数人あらかじめ指名しておくことが多くなった。レフリーの氏名と共に所属、 連絡先の電子メールを記載するので、関連する論文を最近数年に書いた著者が選ばれ、私のようなところにも、急に 査読依頼のメールが飛び込んで来て驚かされることも珍しくはない。著者は査読のプロセスが現在どの段階にあるの か、コンピュータ上で確認することが出来るので、これもまた査読する側にとってはかなりの圧力ではある。
 まだまだ日本人の英会話には問題点が多いとはいうものの、研究所での実例を見ていると、日常的に英語を使う必 要のある環境であれば、いやおうなしに慣れていくというのが事実のようだ。小学校から英語教育を行うべきかとい う論争があるが、翻って考えれば大学教育のレベルまで自国語の教科書や参考書で授業が可能なのは、世界的に見れ ばごく珍しい状況なのであろう。獲得すべき英語力の意味するところを明確な達成目標として定めるとの議論がなけ ればならない。従来のような文学作品を教材にすえた英語教育を今後とも続けるのが適切なのかどうか。文学的な内 容、文化的背景を含む相互理解を求めることに意味が無いとは思わないが、英語での電子メールのやり取りが問題な く行えるといった情報交換の手段ということに割り切れば、現状のような我々を取り巻く英会話環境はすでに十分な レベルなのかもしれない。