〔クラブ活動紹介シリーズ9〕
走友会
更生訓練所理療教育部



 今月号は、クラブ活動として走友会をご紹介します。

1 走友会との草創期

 本センターの体育施設は、わが国で最も整った施設である。300mラバータータン陸上競技場には、槍投げ円盤投げブロードジャンプ系の走路と砂場が完備され、ハイジャンプ・棒高跳び用のランディングマットの備品も整備されたもので、これを有効に使いたいとの願いに呼応して、1979年9月に東京視力から移転してきた運動不足の仲間が、ウォーキング、ジョギング、ランニングにと多くの利用者が活動する草創期でした。その当時は、クラブというよりも放課後に陸上競技場で汗をかくことを日課にする人の集まりでした。また、1983年に大阪で全日本盲人健康マラソンが開催され、センターからも参加し、その後小田原大会へと発展をしていく中で、国リハチームとしてリレーで3連覇をするなど輝かしい戦歴を有することとなりました。

2 走友会の発展期

 大阪大会を契機に全国各地で、視覚障害者が参加できる大会が開催されるようになりました。 1982年フェスピック香港大会に吉野教官と宮城さんの2名が参加したことを契機に、その後のパラリンピックでも多くの金メダリストを輩出するまでになっています。記憶に新しいところでは、アテネパラリンピックで視力0〜光覚弁までのグループで、マラソンで優勝(2時間44分24秒)した高橋雄一さんは、1987年の卒業です。

 これ以外でも、メダリストは、ソウルパラリンピックで三田さん、堀内さん、大塚さん、 バルセロナでの竹内さん、アトランタパラリンピックでは、本年の障害者記念公講演をしていただいた葭原さん、彼はシドニーとアテネではタンデムサイクリング(二人乗り自転車)でもメダリストになりました。

3 クラブの今後

 平成18年度は、数名のクラブ員が毎週水曜日、マラソンが大好きな伊藤淳子先生を顧問指導者に迎え、メタボリックに近い方も含め設備の整った自然の中、日頃の運動不足を解消し身体を動かし代謝力を向上し健康の保持増進に役立てています。

 今クラブ員が皆様方にお願いをしたいのは、ガイドをお願いしたいことです。水曜日の16時ごろから走っていますので、学生さんなど協力できる方がいたらよろしくお願いしたいとのことです。では陸上競技場でお会いしましょう。

 

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