〔巻頭言〕
リタ・ヘイワースって、誰?
更生訓練所長 江藤 文夫



 記憶は想起するたびに上書き保存され、その時々の関係により変貌していくように感じることが多い。記憶が次第に崩壊して、自分自身の見当識も失われていく疾患としてアルツハイマー病がある。学問的興味、それにまつわる歴史的なエピソードの尽きない疾患であるが、「アルツハイマー病はヒトを二度殺す」と言われ、当事者にとっては日々の生活で深刻で困難な問題である。

 WHOでは1994年以来、毎年9月21日を「世界アルツハイマー病の日」と定めて、各国でのイベントを支援している。この活動推進の原動力として、国際アルツハイマー病協会(ADI, Alzheimer’s Disease International)がある。ADIは各国のアルツハイマー協会の国際的連合として傘の役割を果たし、現在は77カ国の代表が参加している。ADIの会長は、1984年の設立以来、中心的役割を果たしてきたプリンセス・ヤスミン(Princess Yasmin Aga Khan)である。

 アルツハイマー病は1980年代の米国で最も有名な疾患となった。それは、ヤスミンの母親の病名が周知されたからである。1980年前後に認知症の当事者や家族による団体が欧米各国で設立され、会の名称はアルツハイマー協会に収斂していった。そこでもヤスミンの母であるリタ・ヘイワース(1918-1987)の病名のインパクトは大きかった。1940年代のピンナップガールとして全米男性のアイドルであったからであるが、この女優の日本での知名度はともかく、高名な評論家による評価は低く、憎まれてさえいたように感じる。彼女はエリザベス・テーラーにより記録を更新されるまでNo.1の離婚回数を誇ったハリウッド女優である。2番目の夫であるオーソン・ウェルズは蓮見重彦氏や淀川長治氏が好きな映画人の上位にあげる偉才である。淀川氏によると彼の才能を崩壊させた女優としてリタ・ヘイワースを位置づけていた。

 ADI会議で見かけたヤスミンは小柄であったが、映画で見るリタも小柄な印象がある。3番目の夫が当時世界一の大富豪と言われたアガ・カーンの息子のアリ・カーンで、そして生まれたのがヤスミンである。リタは5回の結婚、離婚を繰り返したが、1970年代後半には精神症状の荒廃が明らかとなり、自殺企図がみられ、1980年にアルツハイマー病と診断された。以後、亡くなるまでの7年間リタを在宅でケアをしたのがヤスミンである。

 リタのピンナップは広島に原爆を投下したB29爆撃機エノラゲイの操縦席、ビキニ環礁での原爆実験に使用され「ギルダ」と呼ばれた原子爆弾の内部にも貼られていたという。彼女の主演映画は数多いが、ピンナップで登場した1994年の「ショーシャンクの空に」を代表作と呼ぶべきかもしれない。リハビリテーションとはどういうことかを教え、考えさせてくれる映画である。原作はスティーブン・キングの「刑務所のリタ・ヘイワース」である。”The Science of Stephen King”という講演会(2007年11月29日)の案内がニューヨーク科学アカデミーのニュースに掲載されていたが、キングはホラー小説で有名とのことである。

 リハビリテーションも日本語になると本来の意味は伝えられ難くなり、表層的な機能訓練を意味することになったようである。近代科学を展開させたキリスト教文化圏の伝統を共有しないので、更生という言葉を疾患からの解放に適用するには無理があろう。残念なことであるが、それが日本の伝統的な行動様式でもある。Dementiaを認知症と訳すことは、schizophreniaを統合失調症と訳すこととは意味が異なるが、言葉を改めることで実態の解決ニーズを忘れて先送りできることは便利である。何となく怖い話でもある。