〔巻頭言〕
人生80の坂と健康法
病院長 牛山 武久



 戦争直後50歳だった平均寿命は混乱期を過ぎれば徐々に上昇し、最近では80歳で亡くなっても軽々しく大往生と言えなくなった。誰もが80の坂を越えるには三大死因のがんと脳卒中と心臓病を克服しなければならない。昔、私が愛読した坂口安吾(死亡年齢、49)、壇 一雄(63)、太宰治(39)など無頼派の作家達の多くは酒を飲み、タバコを吸い、思いのまま生き(自殺者もいるが)多くは平均以下で亡くなってしまった。晩年になって作家たちも健康に注意するようになるが、自由奔放な生き方は魅力があった。医者の不養生、紺屋の白袴といわれるように医者が長生きとは限らない。医者嫌い、病院嫌いも多い。長生きすることは病院通いすることではない。医食同源、適切な食事・栄養が長く生きる基本である。年に1回くらいは健診を受けるにしてもどのようにして健康な体を保つか(健康法)はあくまでも個人の自由であり、個人の才覚が鍵である。医者は助言をしてもその自由を侵す事はできない。

 今や1億健康の時代である。障害者もその中に入る。小学生の頃、朝、塩水を1杯飲むと健康によいと説く人の言葉を信じてしばらく飲んだ。友人の中で自分の尿を毎朝飲み、その日の体調を判断している人もいる。先輩の医師で都内は何処に行くのも自転車を使い、体を鍛えていた人がいた。さぞかし長生きするであろうと期待していたが70歳を過ぎて心臓と心膜の間に出血する心タンポナーデであっさり亡くなってしまった。中学の恩師は陸上競技を得意とし77歳までマスターズ大会に出場し毎年入賞していたが、椎間板ヘルニアの手術を境に競技生活に終止符を打った。私も運動能力は良いとは言えなかったが、学生時代は何かしらスポーツをやっており、ごく最近まで市民マラソンに参加しいつも最後尾を走っていたが不整脈が出現してきて失神し止めてしまった。かくのごとく健康法は人それぞれであり、結果もまたまちまちである。こうして60台にして体を鍛えるという考えを改め、体を鍛えない健康法を探ることにした。肝心要というように心臓は「かなめ」の臓器である。仕事の上でストレスは避けられない。不整脈はストレスと関係深く、極力、無駄なストレスを避け体力を温存することにした。趣味の将棋で10秒以内に指すというような胸が痛む試合は止めにし、無理をしない生活を旨とし体重も減らしついでに酒も止めた。あとは柳のように柔らかく生き、できれば日々笑って過ごせればと考える。

 インドでは死体がガンジス河を流れていき死は日常的である。現在の日本では施設や病院で亡くなる人が多いから、在宅で介護していた時代のように長く死に往く人と交わる機会は少なく、死が身近でなくなった。自覚する時間のないまま死が突然やってくるような気がする。こうした現代の死と長寿に対応する「超高齢者総合医」が求められている。


参考

1) 厚労省2007年発表、本邦の平均寿命、女性85.75歳、男性78.79歳.

2) 木津川計:大往生と云うには男性は85歳以上、女性は90歳以上で惜しまれた死などいくつか条件が付く