〔国際協力情報〕
「ダスキン・アジア太平洋障害者リーダー育成事業」について
管理部企画課


 このたびマレーシア出身のろう者ヘン・イーハウさんが、5月11日から5月22日までの間、ダスキン・アジア太平洋障害者リーダー育成事業の研修員として、当センター学院の手話通訳学科で研修を受けられました。当センターは、毎年、この研修事業に協力して研修員全員のセンター見学と個別の研修を受け入れています。研修を実施している財団法人日本障害者リハビリテーション協会企画研修部研修課の那須里美さんに「ダスキン・アジア太平洋障害者リーダー育成事業」の概要と、研修を受けたイーハウさんの感想などをお寄せいただきました。
(写真1)ヘン・イーハウさん


 「ダスキン・アジア太平洋障害者リーダー育成事業」は、財団法人広げよう愛の輪運動基金の委託を受け、財団法人日本障害者リハビリテーション協会が実施している研修事業です。アジア太平洋の各国・地域で地域社会のリーダーを志す障害を持つ若い世代を対象とし、日本の福祉の現状を学び、自己研鑽に励むチャンスを提供することを目的としています。平成11年度より実施されている本研修事業は今年度で10回目を迎えました。
 本研修事業には、いくつかのユニークな特徴があります。まず、政府などの公的な推薦を必要としない完全公募であることです。広く門戸を開くことで、リーダーとしての素質は十分に備えているが、知識や経験が不足している、いわば「原石」を発掘することができます。
 次に、約10ヶ月という研修期間の半分以上を、研修生が自ら希望する分野や関連施設での個別研修に費やすということです。また、その個別研修は、原則として日本語(ろう者の場合は日本手話)によって実施されています。来日当初は「おはようございます」さえ言えなかった研修生も3か月間の日本語/日本手話が終わる頃には簡単な日常会話がこなせるようになります。その後続く個別研修では、ナチュラルスピードの日本語が飛び交うため、多くの研修生が再び言葉の壁にぶつかります。しかし、自身の努力や工夫でそれを乗り越えたとき、彼らは大きく成長します。単に知識を与えることが目的であれば、彼らの母国語を通して研修するのが効率的ですが、日本の社会に溶け込み、生活の中からも学びを得るには、日本語/日本手話が必須です。また、お互い苦労しながらコミュニケーションを確立していく過程で、研修先の方々と研修生は確かな信頼関係を築いていきます。帰国後も、研修でお世話になった方々と連絡を取り合っている修了生がいます。それも日本語/日本手話を学んだ強みと言えるでしょう。
 最後に、クロスディスアビリティな研修が実施されていることが挙げられます。本研修事業では、集団研修として研修生全員が一緒に学ぶ機会を多く設けています。その中で「お互い助け合う」ことを学び、視覚研修生が四肢障害をもつ研修生の車いすを押したり、ろう研修生が視覚研修生のガイドヘルパーを務めたり、四肢障害の研修生がろう研修生のために手話通訳を買って出たりということがごく自然に行われるようになります。
 本研修修了生は66人にのぼり、日本での経験を生かして色々な形で活躍しています。特筆すべきは、研修修了生間に自然発生的に生まれたネットワークが、単に情報交換だけにとどまっていないことです。同じ国に住んではいるが、来日時期も障害も異なる修了生が集まり、セミナーを開催することもあれば、同じ志を持つ修了生が国を超えて協働しているケースもあります。


 第10期生として昨年9月に来日した研修生は7名です。今回、貴センターで個別研修を行ったヘン・イーハウはマレーシア出身のろう者です。研修目標の一つとして、専門性の高い手話通訳者の養成を挙げていたことから、学院手話通訳学科で研修を受け入れていただきました。その間、イーハウは手話通訳者養成に関する様々な講義を受けたり、また実際の授業風景を見学したりしました。そして、研修最終日にはマレーシア手話の模擬指導を行いました。

 約2週間の研修を終えたイーハウに感想を聞いたところ、効果的なカリキュラムや質の高い授業内容に感銘を受けたのはもちろんですが、「マレーシア手話」を見直すよいきっかけになったと言っていました。イーハウが使っている「マレーシア手話」は、マレーシアの持つ歴史的背景により、アメリカ手話の影響を受けています。しかし、マレーシアのろう者からろう者へ脈々と受け継がれている「(他言語からの干渉がない)マレーシア独自の手話」を守り、またその手話を用いて通訳ができる人たちを養成することの意義について、イーハウはこれまで「考えたことさえなかった」そうです。目指すべき方向性がより明確になったことで、聴者に対する手話指導に関わりたいという思いをさらに強くしたイーハウの帰国後の活躍を期待しています。


以下は、イーハウの書いた文章です。
<自己紹介>
 私はマレーシアで生まれ育ちました。3歳の時の高熱が原因で、ろうになりました。家族の中でろう者は私だけですが、家族とは手話でコミュニケーションをとっています。
<手話通訳学科での研修目的>
 新しい手話教授法を学ぶことが手話通訳学科での研修の目的でした。というのも、マレーシアには高度な技術を有する手話通訳者はほんのわずかしかいないからです。私は母国の手話通訳者数を増やすために尽力したいと考えています。研修では先生方が熱心に指導にあたってくださったので、そのアドバイスの一つ一つに傾注しました。その結果、私の中にあった良い面が引き出されたように思います。先生方に心からお礼を言いたいです。