〔巻頭言〕
坂の上の雲
総合相談支援部長 小河芳弘



 先日雑誌を見ていると、NHKの大河ドラマで司馬遼太郎原作の「坂の上の雲」が3年をかけて放映されるという記事が載っていた。私は司馬遼太郎の小説が好きで、作品のほとんど読んでいるが、その中でも単行本全6巻に及ぶこの大長編歴史小説は、読むのも大変だったが、最も感銘を受けた作品である。
 この小説の舞台は日露戦争を中心にした明治時代で、主人公は伊予松山出身の秋山好古、真之兄弟と真之の幼馴染みの正岡子規。兄好古は日本陸軍の騎兵の父と言われる人物で、奉天会戦で世界最強のロシア軍コサック騎兵を撃破した騎兵旅団長である。弟真之は日本海海戦における参謀で、海戦を前にした電文「本日天気晴朗ナレドモ浪高シ」の起草者でもある。正岡子規はいうまでもなく日本を代表する俳人であるが、短命だったので小説の前半にのみ登場している。このほかにも児玉源太郎、東郷平八郎、乃木希典などの明治人が多数登場して、その章ごとの中心人物として描かれている。欧米諸国に追いつこうとして近代化を進める明治の人々が、国造りの気概を持ってそれぞれの専門分野の確立を目指し突き進んでいく姿をテーマとしたこの小説は、読んだ方は分ると思うが、著者が相当克明に史料を調べ上げている形跡が随所に見受けられ、40代の大半を費やして書いたというのも頷ける、正に偉業と言うほかない作品である。この小説を映像化するのは到底困難だと思いつつも、どのように脚色されたドラマに仕上がっているか興味も沸き、放映を楽しみにしている。
 さて、国立リハセンターも今年7月で開設以来30年が過ぎた。この文章が掲載される頃には、天皇皇后両陛下ご臨席の下に開催される30周年記念式典も無事終了していると思うが、開設当時を振り返えると、雨が降れば敷地内のいたる所がぬかるみになり、また、風が吹けば砂埃が舞い上がって空が茶色に霞んで見えることもしばしばあったことを思い出す。それから30年が経ち、建物は病院新館、学院棟、第2体育館などが増設され、職員宿舎なども随分と増えた。また、枝豆などを植えていた訓練棟西側の空き地は、庭園のごとく整備され「野外訓練場」になっている。しかし、それ以上に月日を感じさせるのは、敷地内に植えられた木々の太く大きくなったことで、過ぎた年月の長さに感慨深くなってしまう。思えば、当センターの構想は昭和41年の身体障害者福祉審議会の答申に始まっており、今から43年も前に遡るもので、当時は東京オリンピックの余韻がまだ残り、大阪万博がまだ先の時代であることを考えれば、この壮大な計画、世界でも類を見ない計画が打ち出されたというのは、当時の福祉関係者の見識の深さがあってのことと、今更ながら感服する。
 それから半世紀近くが過ぎた現在、長年続いた措置制度が利用契約制度に変わり、支援費制度を経て自立支援法が制定され、新政権になって新法制定の動きがあるなど、障害福祉を取り巻く情勢は混沌としている。一方、民間福祉施設の中心的役割を担う社会福祉法人については、社団・財団等の公益法人改革を受け、社会福祉法人の経営能力向上やガバナンスの確立を中心とした見直し議論が進められている。また、国立施設に関しては、今年3月に「今後のあり方に関する検討会報告書」がまとめられ、地方施設の統廃合を含めた施設機能の一元化が打ち出された。これらの情勢変化に対応するため、当センターでは5年後を見据えた「中期目標」の策定を進めているが、障害施設に携わる我々一人ひとりが、障害福祉の目標という雲を見つめながら、坂の上を駆け上がっていく時期が来たようだ。