〔巻頭言〕

一歩一歩

研究所運動機能系障害研究部 部長 緒方 徹



 研究所の運動機能系障害研究部の部長を務め1年が過ぎた。こうした職に就いたご縁もあって研究部の大きなテーマのひとつである脊髄損傷リハビリテーションの研究開発について人前で話す機会が多くなり、その分さまざまなご意見・ご質問を頂くことも増えている。同じ分野で働く研究者があつまる学会等では、参加者の背景も比較的均一であることから話題も自然と限られてくる傾向があるようだ。脊髄損傷の場合、細胞レベルの病態に関する研究会での一番の話題はやはり再生医療、iPS細胞(万能細胞)をはじめとした細胞移植であり、そこでは主として動物実験における運動機能の回復の有無が語られている。しかし、臨床現場で働く様々な職種の人たちの前で話をする際に最もよく質問されるのは、感覚機能の再生、痛みの緩和方法に関する内容であり、残念ながら近年の細胞生物学はこうした点に対して充分な成果を出せていない。理由は様々だが、感覚や痛みの有無を動物実験で解析することの難しさが主たる要因と思われ、そのあたりが動物実験を用いる研究手法の限界なのかもしれない。
 一方で、ヒトを対象とした運動機能の研究をしていると、感覚(この場合は四肢の知覚)が予想以上に重要であることに気づかされる。手指で細かい物をつまむ際に指先の感覚が大事なのは言うまでもないが、歩行という微調整をしていないような動きでも感覚なしでは遂行することが出来ない。歩行中振り上げた足を再び地面につけ、体重をかける、その際の足の裏からの感覚情報が歩行を制御する神経回路に届き、それが反対側の足を振り出す動きにつながる、ということが近年の研究からわかっている。我々は踏みしめる大地がないと前に向かって一歩を踏み出せない、ともいえようか。
 歩行という「動作出力」が実際には感覚という外からの「入力」によって支えられているという事実はなかなか示唆に富んでいる。当リハセンターでは「リハビリテーションの進歩」というテーマがしばしば語られるが、ここでも「歩」が出てくる。「動作出力」と「入力」がかみ合わないと「歩み」は進まないことを考えたとき、それぞれが何を意味するかを考えてみるのも面白い。「動作出力」は前に進む推進力と考えると、新たな技術や機器の開発ということになろうか。一方で「入力」は推進力によって振り出された足が臨床現場という地面に降りた時の手ごたえ感ということか。これは具体的には新しい技術・機器の臨床評価ということも出来るだろう。評価には数例の臨床症例で検討するものから、薬剤の臨床治験のように何千例ものデータを収集するものまで様々だが、その規模は個々の状況に応じて判断されるものであろう。臨床評価は研究開発で積み上げられた成果が、実際の臨床現場で期待通りの結果をもたらすかを検証する役割を持つが、それだけではない。臨床現場での評価を正しく行ったことで、意図していなかった効果や技術の使い方が発見され、それが次の開発の軸となることも少なくない。大切なのはそうした新しい発見は現場で使ってみないとわからない点である。その意味で、現場での評価は研究作業とは独立したものといえる。

 巻頭言にもかかわらず、小難しいことを書いてしまった。リハセンターでは近年、部門間連携、研究所と他部門との共同プロジェクトの必要性が強調されている。もちろんそのことに間違いはないのだが、上記のことからも明らかなように、こうした連携はセンター内の各部門が研究所に協力する、というものではないことを強調したい。研究所でしか見つけられないことがあるのと同等に、各現場でしか見つけられないことがある。それらが関連付けられたとき、確かな一歩になるのだろうと思われる。
 最後に、一歩一歩が大事であるのと同様に、そもそもどこを目指して歩いていくのか、を意識統一することが大事であることは言うまでもない。