〔巻頭言〕

「心づかいと思いやり」の心

病院副院長 田内 光


 震災後にテレビで頻繁に放映されたACジャパン(旧公共広告機構)のCMで「心づかいと思いやり」に関する広告がある。相当頻繁に放映されていたので誰もが一度は見たことがあると思う。一人の高校生(中学生?)の電車内と階段での行動を追い、「心は誰にも見えないけれど心づかいは見える。思いは見えないけれど思いやりは誰にでも見える。」とのナレーションが画像とともに流れる。このCMの意味は「心づかいと思いやり」の気持ちは誰でも多かれ少なかれ持っている美しい人間の心である。その心も表に現れなければ意味がなくなってしまうので、少しの勇気をもって形に表そうというという主旨である。しかしあまりに頻繁に放映されたので不快感を覚えた人もいたのではないだろうか。それ自体は素晴らしいことを提案しているのであるが、放映された時期と回数が悪い。あのような時期には言われなくてもそのような心は誰もが持つと思うし行動するものである。何か親切の押し売りのように思えて不快感を生じてしまったのであろう。実際にACジャパンには数多くの苦情が寄せられたようである。
 つい最近「この言葉を忘れない―3.11 語りつぎたい勇気と感動のつぶやき―」という募金付の一冊の本を購入した。これは東日本大震災直後からインターネットなどに書き込まれた「心づかいと思いやり」そして「はげまし」の一言を集めた100ページ余りの薄い本で文字数も少ないが、1000円もする高価な本である。この中にはラーメンを無料提供する自ら被災したラーメン店主、震災直後の停電になった交差点で率先して交通整理をする近所の人たち、お互いに譲り合って交差点を通行する運転手の姿、停電で電車という交通手段を絶たれて何時間も歩いて帰宅する人のために、トイレや暖かいお茶、休憩場所などを無料提供するお店の話など、困ったときには「心づかいと思いやり」を忘れない多くの人たちの行動が著わされている。この人たちの「心づかいと思いやり」はテレビのCMを見て生じたものでなく、自ずと現れた行動なのである。
 我々障害者のリハビリテーションに係るものは日々この「心づかいと思いやり」の心を忘れないように行動すべきであろう。しかし度を過ぎるとそれが優しさの押し売りのように見られて無駄な行動になってしまうこともある。あまりに過度のサービスは逆効果になり気をつけなくてはいけない。またリハの専門家としては「心づかいと思いやり」が、逆に手を差し伸べず見守らなければいけない場合もある。しかしこれは他から見ると心無い行動と取られる場合もある。リハに携わるものにとって「心づかいと思いやり」の心が真に何であるかをもう一度問い直し、形に表すことの是非を十分に考えて行動する必要があると思うし、それが真のリハビリサービスであると考える。