〔巻頭言〕

ミトコンドリア

研究所長 加藤誠志


 最近、ミトコンドリアが面白い。皆さんもテレビや新聞等で見聞きすることが多いのではないだろうか。ミトコンドリアは我々の細胞の中に存在する小さな器官で、生物にとってエネルギー源であるATPという物質を作っているので、よく発電機にたとえられる。それだけならニュースにならないが、想定していなかったことが次々と明らかになり、がぜん注目を集めるようになってきた。その一つが、その起源である。
 今から20数年前、筆者がヒトの遺伝子を片端から解析し始めた頃、ヒトの細胞からとった遺伝子のはずなのに、細菌の遺伝子と著しく似ているものを見つけ、不思議に思っていたことがある。あとでわかったことだが、これは実はミトコンドリア由来の遺伝子であった。このことから推測できるように、ミトコンドリアは細菌由来であると考えられている。事実、ミトコンドリアの大きさは細菌と同じ位であり、独自の遺伝子を持っている。大昔、細菌が大きな細胞の中に入り込み、共生したのがその起源と考えられている
 ミトコンドリアは必ず母親から子供に受け継がれ、父親から受け継がれることはない。すなわち卵細胞のミトコンドリアが受け継がれる。このように女系遺伝するミトコンドリアの独自の遺伝子について、民族間の違いを調べると、人類の系図を作ることができる。その結果、驚くべきことに全人類の共通の女系祖先が、約16万年前、アフリカに住んでいたことが示唆された。この女系祖先を「ミトコンドリア・イヴ」と呼んでいる。
 ミトコンドリアが持っている独自の遺伝子に変異が生じ、病気を引き起こすことがある。ミトコンドリア病という名前で知られており、筋肉や脳等、エネルギーをたくさん必要としている組織で問題が発生し、発作や運動麻痺、視覚障害、聴覚障害などを引き起こす。このような変異が卵細胞の中のミトコンドリアで起これば遺伝病になるが、他の体細胞内のミトコンドリアで起これば老化との関わりが取りざたされることになる。ミトコンドリアが活発に働くと活性酸素とよばれる物質が生成し、これがミトコンドリア遺伝子の変異の原因になりうる。加齢とともにこの変異が蓄積し、ミトコンドリアから活性酸素が漏れだすことが老化を促すという説である。そこで、活性酸素の発生を抑えるか無毒化するための方法が、アンチエイジングとして盛んに研究されている。
 我々研究者にとって驚きであったのは、ミトコンドリアがアポトーシスと呼ばれるプログラムされた細胞死を司っていたことである。この仕組みによって、発生の過程で不必要になった細胞や様々な要因でダメージを受けた細胞は、自ら死滅する。我々の体の中で生成している癌細胞の多くも、この仕組みによって取り除かれている。このようにミトコンドリアは、単なる発電機ではなく、細胞の生死を司っている器官でもあることが分かってきた。
昨年の研究所のコロキウムで、研究者はセンターのミトコンドリアになって欲しいと話したことがある。研究成果がセンターの活力源になるべきであり、その意味で研究者は発電機そのものであろう。老化の原因となるミトコンドリアであって欲しくはないが、不必要となった組織を解体するアポトーシスを引き起こす役目は担っているべきであろう。もちろん、ミトコンドリアの働きにはない、解体後の再生プログラムを起動する機能も持っていなければならないが。