〔特集:②〕
ロンドン2012パラリンピックでの支援活動
(ウィルチェアーラグビー)
病院・自立支援局 運動療法士 岩渕典仁


 イギリスで開催されたロンドン2012パラリンピック(2012年8月29日から9月9日:以下ロンドン大会)にウィルチェアーラグビー(以下WR)日本代表監督として参加し、過去最高の4位という成績を残しました。今回、このロンドン大会での活動について報告します。
 WRとは、車いすを用いて四肢麻痺者等(頸髄損傷や四肢の切断等で四肢に障害を持つ者)が、チームスポーツの機会を得るために1977年にカナダで考案された国際的なスポーツです。日本では、1997年に日本WR連盟が設立され、2004年アテネ大会に初出場、2008年北京大会、そしてロンドン大会と3大会連続の出場を果たしました。
 当センターでは、施設の特性を活かし、1998年の第1回WRフェスティバル開催から現在まで、国内外の多くの普及活動、公式大会、強化合宿をさまざまな形で支援してきました。2009年に、私が日本WR連盟強化委員長(日本代表監督兼任)に就任してからは、当センターを強化合宿の拠点施設といたしました。また、当センターは、2010年4月に「国立障害者リハビリテーションセンター中期目標」を定め、その中に「障害者スポーツの普及」を掲げ、今年度より、その一環として、第一・三体育館に加え、宿泊施設(研修宿舎)、食事提供(自立支援局食堂)を利用させて頂きました。また、医・科学支援では、日本パラリンピック委員会、健康増進センター協力のもと、代表選手全員の「メディカルチェック」を実施して頂きました。これらの支援により、効率的かつ効果的な強化合宿の運営が可能となりました。
 ロンドン大会でのWR競技出場は8カ国で、3つのゾーン(地区)から予選を勝ち抜いた国が出場しました。日本は2011年11月のアジア・オセアニアゾーン選手権(韓国)で宿敵ニュージーランド(2004年アテネ大会・金メダル)を破り、ゾーン2位(世界ランキング3位)でロンドン大会の出場権を獲得しました。これまでのパラリンピックでの日本の成績は、2004年アテネ大会で8位(8カ国)、2008年北京大会で7位(8カ国)でした。北京大会以降では、2010年世界選手権で銅メダルと初のメダル獲得、2012年カナダカップで4位と、ロンドン大会以前、日本の世界ランキングは4位でした。

写真 試合前に整列するウィルチェアーラグビー日本代表メンバー
試合前に整列するウィルチェアーラグビー日本代表メンバー


 ロンドン大会WR日本代表チームは、選手12名(頸髄損傷10名、多発性関節拘縮症1名、シャルコー・マリー・トゥース病1名)で、アテネ、北京、ロンドンと3大会連続参加6名、パラリンピック初参加6名で、ベテランと若手のバランスのとれた構成です。スタッフは8名で、パラリンピック経験者3名、障害者スポーツコーチ2名、障害者スポーツトレーナー2名など経験と知識の連携が可能となりました。
 ロンドン大会では、予選プールA(4カ国)、プールB(4カ国)に分かれ、プール内で総当たり戦を実施し、予選プールの結果で、上位2チームは決勝トーナメントへ進出し、下位2チームは5〜8位決定戦となります。ロンドン大会でのチーム目標は『メダル獲得』で、予選プールでは、最低でも2勝してベスト4に進出し、決勝トーナメントでは、チャレンジ精神でより良いメダルを目指すことを方針としました。日本は予選プールAで、初戦のフランス(世界ランキング8位)に、65−56で大差の勝利、二戦目の北京大会覇者アメリカ(世界ランキング1位)には48−64で敗退、三戦目のイギリス(世界ランキング5位)には51−39で快勝しました。この結果、日本は予選プールAで2勝1敗の2位で、初の決勝トーナメントに進出しました。地元イギリスとの対戦では、1万人の観客のほとんどがイギリスの応援というアウェーの中、終始リードを保ち日本のペースで試合を展開することができました。この一戦を通して、日本はどのような環境の中でも世界の強豪国に対して、実力を発揮できることを世界の国々に示せたと思います。決勝トーナメントの準決勝では、オーストラリア(世界ランキング3位)と対戦して45−59で敗退、オーストラリアは決勝戦でカナダを破り初の金メダルを獲得しました。3位決定戦では、アメリカと再戦、チャレンジ精神で挑みましたが43−53で敗退、日本の最終成績は4位となりました。
 ロンドン大会では、北京大会以降、新体制で取り組んだ集大成として参加しました。メダル獲得という目標は達成できませんでしたが、今大会の代表選手は、心理・技術・体力ともにレベルが上がり、世界で十分に通用できることを認識しました。結果に対しては、悔しい気持ちはありますが、WR日本代表チームは、一丸となって、最後まで諦めず、全力で挑み続けました。このWR日本代表選手・スタッフと一緒に戦えたことを誇りに思います。また、パラリンピックで初めてベスト4に進出した今回の成績は、日本のWR界の歴史に深く刻まれることと思います。
 ロンドン大会全体では、他の競技を含めて、どの会場も多くの観客が観戦に駆けつけていました。そして、ルールを熟知している観客が多く、アグレッシブで良いプレーには盛大な拍手、スポーツマンシップから外れるプレーにはブーイングが起こりました。また、試合前後やハーフタイムには、観客が参加できるゲームやショータイムがありました。これは多くの観客が障害者スポーツを「スポーツ」として捉え、それを純粋に楽しんでいるという光景でした。諸外国の選手のパフォーマンスは、予測をはるかに超え、世界の競技レベルが目まぐるしく変化していることも実感し、四肢麻痺等の車いす使用者の身体能力の無限の可能性を再認識することができました。今回の貴重な経験を日頃の通常業務に役立てていきたいと考えています。
 最後に、ロンドン大会では、たくさんの方々からいろいろな形でWR日本代表チームに応援を頂きました。皆様方の声援は心強く、WR日本代表チームは、仲間を信じ、勇気をもって戦うことができました。ご支援、ご協力を頂きありがとうございました。


写真 世界ランキング1位のアメリカにチャレンジする日本
世界ランキング1位のアメリカにチャレンジする日本