〔特集〕
脊髄損傷者の歩行機能に対するニューロリハビリテーションの研究
研究所 運動機能系障害研究部 緒方 徹

  脊髄損傷は四肢に重篤な障害を残し、多くの患者さんが車いすの使用を余儀なくされます。脊髄損傷による四肢の麻痺は一般的には治らないもの、と言われていますが、実際には不全麻痺(感覚や運動の一部が残存しているケース)ではリハビリを中心とした治療によって受傷から半年程度は回復が見られます。こうしたリハビリの治療効果にはまだよくわかっていない部分があり、作用メカニズムなどが明らかになることで、治療効果も大きくできる事が期待されます。また、脊髄損傷について近年では細胞移植といった再生医療による新たな治療法の開発が期待されていますが、こうした場合も、移植した細胞が正しく機能するためには「動きの再学習」をリハビリを通じて行うことが大事だと考えられています。
 国リハ研究所の運動機能系障害研究部ではこのテーマについて大きく3つの研究を行っています。ひとつは脊髄損傷の重症度判定と予後予測を正確に行うための検査法についての研究、次いで機器を用いた歩行パターンの再学習の研究、そして動物実験による脊髄損傷の歩行障害のメカニズムに対する研究です。
 まず、始めに検査法の研究ですが、ここでは血液検査の研究を行っています。血液検査は病院では一般的なものですが、神経の怪我の状態を調べるための血液検査はこれまでほとんど行われていませんでした。我々は、脊髄の神経が損傷を受けると、その中に含まれている神経特有の物質が血液中に漏れ出る事に着目し、この物質の濃度を血液中で測ることを試みています。いくつかある物質の中でリン酸化ニューロフィラメントと呼ばれるものが検査の対象として最も適していることを見出し、現在、実際の患者さんでの調査・解析を行っています。これまでのところ、脊髄損傷になった数日後に血液検査でリン酸化ニューロフィラメントを調べると、四肢の麻痺がどの程度まで回復しうるのかをある程度推測できるようになっています。今後、様々な治療法が脊髄損傷に対して試みられる際、こうした正確な予後予測によって治療法の効果を評価する事はとても重要なこととなります。
 ついで、歩行の再学習に関する研究ですが、これに対して国リハではLokomatと呼ばれる歩行訓練機器を用いた研究を行っています。Lokomatは患者さんの体重を支えたうえで、両下肢に対して歩行の動きをするよう機器が誘導するシステムを持っています。これによって、自分では足を全く動かせない場合でも、歩行の動きを行うことができます。もちろんこの動きは機械によって動かされているもので、それによってただちに自分で足が動かせるようになるわけではありません。しかし、これまでの研究から立位をとって歩行の動きを実践することが脊髄神経に対して変化を起こすことが分かっています。もともと歩行動作の大部分は腰部脊髄周囲に存在する神経ネットワークによってコントロールされています。普段歩いている際に自分の足取りをほとんど意識せず、時には別の作業をしながらでも歩けるのも、脳が一歩ずつの動きに対して指示を出しているわけではない、ということを表しています。つまり、脊髄損傷によって脳からの神経の通り道が傷ついてしまっても、この歩行をコントロールする神経ネットワーク(歩行中枢と呼ばれます)は残っていることが多く、それを刺激することで歩行の動きを引き出すことができます。Lokomatによる歩行訓練はこうした神経ネットワークを活性化させると考えられており、実際に筋肉の活動が出てくることもあります。これまでのところ、完全麻痺(下肢の運動も感覚も全くない状態)に対して、Lokomatを用いた訓練をしても自分で足を動かせるようにはなりません。しかし、不全麻痺のケースでは足が動かしやすくなる場合があり、こうした変化は歩行中枢の活動が活性化されているためと考えられます。こうした神経ネットワークの働きを高めることを意図して開発されるリハビリ手法は「ニューロリハビリテーション」と呼ばれ、脳卒中を始め様々な神経疾患に対するリハビリテーション分野で研究がすすめられています。我々が行っている動物実験もこのニューロリハビリテーションの効果をより高めるための技術を目指しています。今後様々な治療が脊髄損傷に対して試みられる中、神経の機能を正しく導くことは常に重要であり、リハビリ研究はそれを担っていることとなります。
 移動支援という視点に立つと、こうした「ニューロリハビリテーション」やそれとともに行われる再生医療が完全麻痺の脊髄損傷者に対して、機能回復をもたらし、それが日常の移動手段として使われるようになるのはまだまだ先のことと思われます。つまり、日常の移動手段としての歩行は歩くだけではなく、転倒を回避できることまで求められること、また、歩行の効率も重要となってきます。それらのハードルを越えていくためには現在検討されている治療法以上のアプローチが必要で、あるいは支援機器に頼らざるを得ない状況も想定されます。しかし、そうした中でも自分の足を動かせることは精神的にも違いを生み、また下肢を動かすことで全身の健康状態に対しても良好な影響が得られることが期待されます。すなわち、脊髄損傷者に対する歩行ニューロリハビリテーションは歩行機能の再獲得を目指すものであると同時に全身の健康維持を得るものであり、一方で支援機器による移動支援は安全で効率的な移動手段を提供するものであると同時に、当事者の身体の動きを引き出し、身体の調子を整えるものであることが理想的という考え方もできるでしょう。