〔トピックス〕
マウスを用いた発達障害の研究とその成果を用いた訓練手法の開発
研究所 脳機能系障害研究部 発達障害研究室 和田真

 ネズミの一種であるマウスは、小さいながらも立派な哺乳類の一員で、脳を含めた基本的な体の仕組みは、私達、人間とほぼ共通です。従って、マウスの脳の仕組みを調べると、ミクロのレベルから障害のメカニズムを明らかにすることができます。自閉症をはじめとする発達障害の一部には、遺伝傾向が見られることが知られています。そのような場合には、マウスを用いることで、障害特性に関連するとされる遺伝子の働きを止めたり(ノックアウトマウス)、過剰にしたりすることで(トランスジェニックマウス)、その遺伝子の変化がどのように障害を引き起こしているのかを調べることができるのです。例えば、(遺伝子に手を加えていない)野生型のマウスでは、「物よりも他の個体のマウスに興味を示す(寄っていく)」性質があるのですが、自閉症に関連した遺伝子の働きを止めたマウスでは、仲間への興味が低下して、そのような性質が消えてしまいます。さらに「迷路を学習することはできるものの、一度覚えると、正解を変えた時の再学習が難しい」という性質も見つかっており、自閉症で特徴的とされる1)社会的コミュニケーションの障害、2)行動の繰り返しや固執、といった障害特性が再現することが知られています。そして、このようなマウスで研究を行うことで、脳の神経回路のどの部位で変化が生じているか、さらに神経細胞と神経細胞の間(シナプス)でどのような情報のやりとりが行われているか、といったことなど障害特性の原因をミクロのレベルから明らかにすることが出来ます。今日では、このような障害モデル動物を用いた研究などから、自閉症の方の脳では、神経細胞と神経細胞のつながり方や活動の仕方に特徴があることがわかってきており、それを補うような新たな介入法の研究が進んでいます。
 しかし、自閉症の障害は、社会的コミュニケーションの障害や反復する行動だけではありません。米国精神医学会が定めた新たな診断基準であるDSM−Vでは、感覚の過敏や鈍麻も注目されていますし、本人の生活の質(QOL)を妨げる特性としては、スポーツや書字が苦手であるといった感覚運動の問題への対応も重要です。それどころか、これらの感覚・運動での問題が、自閉症の中核的な特徴とされる社会的コミュニケーション障害の基盤ではないかという仮説さえ有力になりつつあります。特に、体を動かすときには、自己の身体を空間の中でどのようになっているかを把握する必要がありますが、自閉症の方では、この特性(身体の捉え方)が定型発達の方と異なっていて、これが運動の困難だけでなく、相手への距離感や共感性の問題につながっているのではないか、と考えられているのです。ところが、これまでのところ、障害モデルマウスなどで観察された神経回路の変化が、どのようにしてこのような障害を引き起こしているのかは明らかになっていません。それを調べるための実験系がほとんど存在しないのです。そこで私たちはマウスで、感覚運動系を評価できる新たな行動実験系の研究を進め、発達障害モデルマウスを評価・解析に用いています。現在取り組んでいるのは、マウスが自分の身体をどのように捉えているか、というテーマです。例えば、ヒトが道具を使う時のように、体ではないものをあたかも体の一部であるように感じることができるのではないか、ということを調べています。これまで国リハ研究所で進めてきた研究により、マウスを対象に身体の捉え方を評価できる実験課題の開発に世界で初めて成功しました。そして、自閉症モデルマウスにこの課題を実施したところ、どうやら、野生型のマウスとは異なった反応を示すこともわかってきました。現在は、そのようなマウスの脳の中でどのような変化が生じているのかを明らかにするための研究を行っています。ともすると、ネズミは害獣のように扱われがちですが、マウスのような実験室のネズミたちは、このように医学の発展を支えている大切な益獣なのです。
 私達の研究室では、このような研究を続けていくことで、自閉症で顕著である感覚・運動の障害、とりわけ身体の捉え方の問題を神経レベルで解明することを目指しています。さらに、これら基礎研究の成果を活かして、発達障害を対象とした新たな訓練手法の開発などを進めています。現在取り組んでいるのは、視線の移動と視点の置き換えに関する訓練を目的としたソフトウェアの開発です。自閉症の方が苦手とされている視線移動や視点の置き換えを、ゲーム感覚で習得できるようにすることを目指しています。様々な基礎研究から、これらの問題の背景には、身体の捉え方や受け取った複数の感覚情報の処理の特性が関係していることが明らかになっており、私達も、障害モデルマウスの研究など基礎研究の新しい成果を、訓練ソフトウェアの開発に活かしていくように常に心がけています。このような研究と開発を通じて、障害当事者の方が感じている「生きにくさ」の軽減につなげていければと考えております。

図1:マウスを用いた発達障害の研究
図1 マウスを用いた発達障害の研究