〔特集〕
国内の脊髄再生医療の現状と国リハの取り組み
病院リハビリテーション部 再生医療リハビリテーション室長 緒方 徹

 脊髄損傷に対する再生医療という言葉を医療・福祉の現場で聞くようになってから20年になります。当時はごく一部の患者さんが海外で細胞移植を受ける話題や、未来を見据えた基礎研究の成果がメディアで報告されるのがほとんどで、実際の再生医療の到来はまだまだ先と思われました。こうした予想に反し、2014年から始まった札幌医科大学の自家骨髄間葉系幹細胞移植は、治験参加者13例という小規模な治験でしたが目覚ましい成果をあげ、2019年5月からは急性期症例への保険適応が認められることとなりました。この背景には国が推進する再生医療推進法の「条件・期限付き早期承認制度」というものがあります。これは、少ない症例数のデータであっても明確な結果であれば保険診療の中での利用を認め、その後改めて臨床データを蓄積・解析することでその治療の効果が本当に充分なのかを検証するというものです。この制度は日本独自の制度で、海外の科学雑誌からは科学的実証が完了していない薬剤(治療)を保険承認することで、厳密な評価の機会を損なうものだ、という批判記事も掲載され賛否が分かれるところです。しかし、脊髄損傷という重症外傷に対し、治験の初期段階で効果があることが強く示唆される治療を通常の薬と同様に二重盲検試験を、つまりは本当の幹細胞投与と偽の投与をランダムに比較する方法を、実践するのは実務的にも倫理的にも無理があり、条件・期限付き承認制度は一つの解決アプローチともいえます。「ステミラック注」と名付けられた札幌医大の幹細胞治療は今後7年間の仮承認期間に投与実施例200例と、非投与例400例の比較試験を実施することとなります。

 現在、ステミラック治療を急性期に受けるためには受傷後2週間以内に札幌医大に転院する必要があり、そのために入院している病院の主治医からの診療情報提供が必要になります。患者さんは札幌医大に入院後、骨髄液を採取し、治療に影響する疾病がないことを確認の上、受傷後40日前後のタイミングで増幅された骨髄幹細胞の点滴治療を1回うけます(繰り返し投与は認められていません)。ステミラックの適応基準は「投与時点でASIA障害スケール(AIS)のAからC」となっているため、札幌への移送を検討する受傷後2週間の時点でAIS D(下肢を重力に抗して動かせる)あるいは、そのレベルまで回復が見込まれる症例は適応から外れる事が予想されます。日本の脊髄損傷発生実態は日本脊髄障害医学会が2018年の発生件数を集計中ですが、近年の傾向として中高齢の不全頸髄損傷が占める割合が高く、下肢機能が保たれている症例が多く、また胸髄損傷・頸髄損傷の完全麻痺例は多発外傷の合併や呼吸状態の不安定性のため移送が困難なケースも多いと予想されます。ステミラックを作成するニプロ社の細胞製造も年間100例程度と上限があるため、実際に投与を受ける患者さんの数は当面の間限定的と思われます。

 一方、慢性期の脊髄損傷者に対するステミラック投与は臨床研究実施中であり、その成果が明らかになるのは2−3年先のことと予想されます。現時点で慢性期に対する保険医療の中での選択枝は大阪大学が先進医療として実施する自家嗅粘膜移植手術のみであり、こちらは胸髄損傷完全麻痺を対象として手術治療とその後1年間のリハビリテーションを実施します。国リハ病院では脊髄再医療相談外来を開設しており、再生医療に関する理解の支援を行っていますが、近年になってこの自家嗅粘膜移植についての問い合わせが多くなっている印象があります。

 そのほか今後の成果が期待される治療としては慶應大学が行うiPS細胞由来神経幹細胞移植と東北大学が中心となって複数施設で行われるMuse細胞の静脈内投与治療が挙げられます。iPS細胞はサルの脊髄損傷モデル実験でも治療効果が確認されていることから期待が多い一方、腫瘍形成というリスクをどう対処するかが依然として課題になっています。Muse細胞の治験はすでに開始されており、iPS細胞についても間もなく1例目が実施される見込みです。

 国立障害者リハビリテーションセンターは病院に設置された再生医療リハビリテーション室を中心に一連の再生医療実施施設との連携を図っています。再生医療の実施前後の評価・訓練において何が求められるのか、研究所の運動機能系障害研究部・神経筋障害研究室の蓄積した知見が臨床現場の先端的課題に活用されることとなっています。すでに大阪大学の再生医療手術実施後のリハビリテーションは複数症例に対して入院訓練を行い、札幌医科大学とは慣性期症例に対する幹細胞静脈投与治療の臨床研究について連携を開始しています。再生医療は投与された細胞が直ちに機能回復をもたらすとは限らず、あくまで機能回復のポテンシャルを高める治療と位置付け、そこにリハビリテーションを加えることが必須となります。今後再生医療が展開していく中で、特に慢性期の症例への治療の開発や実施において、リハビリテーションの果たす役割は大きいと予想されます(図)。

 また、再生医療分野においては先にも述べた通り治療効果をランダム化ではなく、比較試験として実施する必要があることから、いわゆる通常の治療を実施した症例との比較を行う必要があります。脊髄損傷治療は個々の症例の症状や身体背景、社会環境によって大きく異なり、また施設間での方針の差も少なくありません。こうした中で、「通常の治療を受けた症例」とは何を指すのかも定義が必要となっています。現在、日本脊髄障害医学会の主導で脊髄損傷に対する標準的リハビリテーションプロトコールの策定作業が進められており、ここでも当センターは主導的な役割を果たすことが期待されています。

 脊髄損傷は超高齢社会の中で頻度が低いものの重症度が高いため、まとまった数の臨床例を常時扱っている病院は全国でも数施設にとどまっています。再生医療についてもその前後のリハビリや評価について、これまでと同様に当センターが情報を発信することで地域差のない脊髄損傷医療の実現に寄与することが期待されることでしょう。再生医療の効果が実際にどの程度なのか、現段階では何とも言えません。これまで回復が見込めなかった筋力回復が若干でもあれば科学的には重要な知見となることは間違いありませんが、その回復がADL動作や自立度の改善につながるのかについては別の問題です。むしろADLの改善につながる再生医療を実現するためにどのような治療対象者選定や訓練を行うかについても、当センターのこれまでの経験が活用される場面が多いと予想します。

 再生医療が一部の症例にとって現実のものとなったことで、逆にその治療をうけられない患者さんの思いは計り知れないものがあります。また、各地域で自由診療として幹細胞の静脈投与を実施する施設も増えつつあり、今後も再生医療についての情報によって当事者が困惑する場面は続くものと思われます。こうした状況は新しい治療技術を導入する際に生じる負の側面と言わざるを得ませんが、だからと言って新しい治療を試みることを放棄することは長期的には脊髄損傷医療の停滞につながってしまいます。したがって、こうした負の側面にも向き合いながら、国内で現在進行形で進む脊髄再生医療が実生活につながる治療として定着する方向へ進んでいくようセンター全体として取り組んでいくことが今の国リハに求められていることと感じています。


図 将来想定される慢性期への再?医療とリハビリのかかわり