〔随想〕
母の介護で思うこと
学院 主幹 金丸美恵子

 今世間では、自ら高齢者でありながら高齢者を身内に 抱え、介護責任を背負っている家庭は珍しくありません 。私自身も定年を意識する時期にきたなと思った矢先、 自分の「母の介護を背負う」破目になってしまいました 。やがてはそうなるという自覚と覚悟はしていたつもり でしたが、…・
 昨年秋、紅葉も真っ盛りの頃、その覚悟の仕切りなお しの機会に遭遇してしまいました。
 今年90歳になる母は、私の家の近くで独り暮しをし ています。その母が昨年10月末、交通事故に遇い、大 腿骨骨折で入院することになりました。
 母は、独り暮しとはいえ、母なりの近所付き合いをし ながら、気丈夫な暮らし振りを続けており、そんな母へ の私の対応は、それぞれ別に生計を営んでいる二人の妹 達と私の三人で、やりくりしながらの「生活支援」とい ったところでしょうか。土日には必ず誰かが泊まり、週 1回1日傍にいて世話を焼く、その合間は、私が仕事帰 りに顔を出して母の相手をするというぐらいで、母は「 自立した生活」を送っていました。
 母には、かって短い入院生活の経験はあったものの、 このような交通事故での長期入院は初めてで、私達姉妹 にとっては大変ショックな出来事でした。母は果たして 元のような生活に戻ってくれるだろうか、寝たきりの生 活になりはしないか、大変心配したものです。
 しかし、一番ショックだったのは母自身でした。主治 医の病状説明のなかで、寝たきりにならないためには、 早期手術、早期リハビリが効果的で、特に手術後は24時間 体制でお母さんに話しかけてくださいとの指示をう けました。
 入院してから4日目に手術を受け、翌日からリハビリ を受けはじめました。私達にとっては大変なことですが 、母に元の生活を取り戻させるためには、この1〜2週 間が大切だということで、付き添いの順番を決め、手術 前後5日間は、24時間体制をとりました。
 しかし、母のショック状態はなかなか治まらず、度々 辻褄の合わない事を話す母に戸惑いながら、それぞれの 家族も巻き込んでの看病となりました。そして今後の生 活のことを心配する母を励ましながらの看病も骨が折れ 、結構疲れるものでした。
 ところが、その母が、手術後のリハビリに意欲的な頑 張りを発揮し、主治医の先生も驚くほどの回復力をみせ て、手術後1ヶ月で退院することになりました。主治医 の先生から、「お歳のわりに、筋肉がしっかりしている 」といわれましたが、これは母が家事万端をほぼ自分で やってきたことと大きな関わりがあると私は思いました 。
 退院を喜ぶ間さえなく、退院後の母の介護が目前に迫 った大きな課題です。杖で歩けるようになったとはいえ 油断はできません。入院前と同じ生活スタイルを母一人 に任せるというわけにはいきません。明日からの介護方 法について、妹達と真剣に相談をすることにしました。 退院前、母に同居を勧めたとき、意外にも、母は困った 顔をしているので、いろいろ話しかけているうちに、「 同居でなく、今まで以上に3人にきてほしい」という母 の本音がわかりました。このこともよく頭に入れて検討 しないといけません。
 そんな母が、希望どおり自分の住み慣れた家に帰って きて、二度びっくりです。家に足を踏み入れた途端、目 の輝き、顔色まで変わり、杖を突きながらも、持ち帰っ た日用品を片づけ始めます。母のあまりの変わり様に私 も妹達も驚いてしまいました。
この母の変わり様をみて、改めて家庭介護について考え させられました。
 老老介護の実態や、妻、嫁の負担に偏りがちな介護の 実情を考えれば、私の家庭など恵まれているかもしれな い。しかし、程度の差はあれ、その「負担」は覚悟して 「介護計画」を立てました。週2回のホームヘルパー派 遣と昼食サービスという制度の利用、5日間は私達3人 姉妹で休暇をやり繰りする、泊も必ず1人置くローテー ションを組む、という大筋の計画となりました。
 母は当初、ホームヘルパーの利用についてためらいを 隠しませんでしたが、今では、それにも慣れはじめ、以 前の生活には程遠い毎日ですが、家の中では杖なしで歩 けるようになったり、身の廻りのことも少しづつできる ようになりました。徐々にですが「生活の自立」へ向け た前進がはじまっています。
 さて、今回の事故で、私は思わぬ収穫があったと思っ ています。ひとつは、何よりも、闘病生活を通じての母 自身の変化です。元の生活に戻る強い意思を持ち、意欲 的にリハビリに取り組むようになったこと、独り暮らし にこだわってきたことが結果として筋肉の衰えを防ぎ、 母なりの健康体を維持していたこと、そうした変化やこ だわりが回復を早めたのだ、という強い思いです。ふた つには、私達の「24時間やりくり看病」の経験が、姉 妹間で退院後の「母の介護(生活支援)」体制へ比較的 スムースに移行できたということです。今後、いろいろ 出会う困難に対しても、今回の事故をプラス思考で生か して乗り切っていける気がしてきました。
 私自身もいずれ介護を受ける側になります。当たり前 のことかもしれませんが、看病や介護には、「生活への 自立」支援という精神を決して忘れてはならないし、介 護する側の、都合だけや、善意ではあっても安易な判断 の押し付けは慎まなければならない、と改めて自らに言 い聞かせているところです。