退官挨拶「地図のない旅と羅針盤」
前総長  中村 驤



中村前総長の近影  人生は、よく地図のない旅に喩えられる。私も己の歩んできた道を振り返るべき時を迎えたようである。顧みることを通して、地図ではなく、自分のたどった小路の物語を綴るのである。
 若かった頃、肢体不自由児ととも日々を過ごした年月…医師として、この子供たちを治そう、よくしようという気持ちとは裏腹の帰結を感じ取っていた時期…医学の無力を否応なしに知らされ、突きつけられていた。
 研究の世界へと足を踏み入れ、肢体不自由児あるいは難病患者の生活時間調査を通じて身体障害がもたらす生活への影響、それが発達障害に及ぼす作用を知るほどに…身体障害が医療だけで解決する問題ではないことを、冷静に考える一時が与えられたと思っている。
 その後、東北大学医学部における研究、教育と診療に従事しつつ、宮城県の難病対策や社会福祉協議会の活動から行政現場の辛苦を具に体験したこともある。
 平成4年3月であったろうか、当時の津山総長からお手紙を頂いた。国立身体障害者リハビリテーションセンター病院長にという丁重なるご指示である。平成5年7月に赴任してから、8年9か月に及ぶ所沢での生活になった。
 あらためて考えてみると、肢体不自由児の世界へ飛び込んだのは大学紛争の余波ではなかったか? 研究一筋の生活ができたのは美濃部都政における心身障害児施策のお蔭ではなかろうか? 東北大に奉職できたのは難病研究の成果が認められたのだろうか? では所沢は? 津山先生、初山先生、二瓶先生など、遠くまた近くから私を見守っていてくれた先輩たちがいた。
 人生は地図のない旅である。闇夜を手探りで進むような感じがするときもある。「羅針盤のない航海はどこにつくのかわからない」とガリレイが言っている。人生には羅針盤はない。しかし、遠くに輝く星はあるはずだ。その星を見つめ、その星に導かれて、身体障害の世界にかかわってきたのが私の生涯であったように思える。医師になって2年目の関東労災病院と整肢療護園の勤務が私の心に、その後の人生を定めたあの星の輝きを抱かせたのだろう。
 所沢での歩みは、バブル経済崩壊後の急速な社会変動と時期が一致していた。社会福祉サービスの領域にも、利用契約制度を始めとして、いろいろの面に近代市民社会の人間関係が導入されることになった。そのような時節にあたり、私が心がけたことはひとつ、センターにおける人と人との関係、職員間だけでなく、センターに集うすべての人々の関係を縦社会から横社会へと大きく舵を取ることであった。これからの国立身体障害者リハビリテーションセンターを導いていかれる方々には、内外の変革が一層求められるように思える。これまでに所沢を去った多くの先達の心にも、そして今後のセンターを支え導く方々の心にも、自分たちの仕事を動機づけている理念、皆さんが一致して見つめる遠くに輝いている星があるはずだ。その星に導かれつつ、地図のない道を力を合わせて進まれることを願って、お別れの言葉としたい。



退官記念植樹された、しだれ桜