[随想]
「障害」は「障碍」(「障礙」)と表記すべきである
耳鼻咽喉科  熊田 政信



 昭和22年11月16日、敗戦後のどたばたに乗じて公布された「当用漢字表」は、漢字の使用を僅か1850字に制限するという理不尽なものでした。 この漢字制限の本当の目的は将来的に漢字全廃を目指すことであり、1850字という数字には何ら合理的な根拠はありませんでした。 この不合理極まりない漢字制限が日本語に与えた弊害は甚だしいものとなりました。 例えば「耳鼻いんこう科」「口くう外科」といった、小学生が書く様な、幼稚なかな混じりの熟語表記を生み出したのと同時に、「書き換え」という、こちらは幼稚というレベルでは語れない非常に深刻な問題を日本語に発生させました。 「書き換え」とは、例えば「義捐(ぎえん)」という単語を、「捐」という字が当用漢字表にないという理由からそれと音が同じ「援」で書き換え、「義援」と表記することです。 「捐」という漢字は、「すてる」「なげうつ」という意味です。 つまり、「義捐」とは、非常に大切なもの(例えばお金)を、とても惜しいけども義のためとあらばなげうとうという、非常に葛藤に満ちた言葉なのです(高島俊男「お言葉ですが・・・」文春文庫)。 ところが、「義援」と書いてしまうと、義捐という葛藤に満ちた行為を非常に奇麗事にしてしまい、また、義捐を受ける側にもなげうった人の葛藤を察っしにくく、その分感謝の気持ちが少なくなる様な気が私にはしてなりません。
 さて、「障害」という単語もこの「書き換え」による産物であります。 この単語は本来は「障碍(障礙)」(「礙」は「碍」の正字)と表記されるべきものです。 「障」「碍(礙)」ともに「さしつかえる」という意味の単語で、何かことを行うときにさしつかえてしまうことを指します。 (なお、このように同じ様な意味の漢字を二つ並べて熟語を作る例は漢語には多く見られます。 例えば「咽喉」という単語の「咽」「喉」はともに「のど」を意味します。) ところがこれら二つ重なった自動詞「さしつかえる」のうちの一つ即ち「碍(礙)」の方が当用漢字表からもれてしまったため、「書き換え」が行われました。 つまり、「碍(礙)」と同じ音の「害」が当てられたのです。 (なぜこの漢字が書き換えに用いられたかはまだ私は確認しておりませんが、恐らくは「傷害」という単語からのアナロジーであったと推測しています。) 「害」とはものごとを「傷つける」という他動詞的な漢字であり、他に対して危害を与えることであります。 従って、この漢字を含む単語は、「害虫」「災害」「有害」等、あまり好ましい意味にはなりません。 この書き換えを定着させた人々は、「障碍」が他者に害を及ぼすものであるとでもいいたかったのでしょうか。 このような乱暴な書き換えが何者かによって行われそれが現在も何の疑念もなく使われていることに私は非常な憤りを感じるものであります。
 当用漢字表に代わって昭和56年3月23日に答申された「常用漢字表」では、漢字の制限を単なる漢字使用の「目安」とし、「科学・技術・芸術等の各種専門分野や個々人の漢字使用にまで立ち入ろうとするものではなく、従来の文献などに用いられている漢字を否定するものではない。」と明記しています。 このセンターの名前も、一刻も早く「国立身体障碍者リハビリテーションセンター」に表記を変えるべきと私は考えます。 (ついでに、我が科の標榜も、「耳鼻いんこう科」ではなく「耳鼻咽喉科」にして頂きたい!)