2004年アテネ・パラリンピックに参加して
学院 リハビリテーション体育学科 教官 藤本茂記


【はじめに】
 障害者スポーツの祭典、第12回パラリンピックアテネ大会は9月17日(金)〜28日(火)の間、 当地郊外の五輪スタジアムをメイン会場に各地で開催されました。136か国から3,837名の選手が 参加し熱戦が繰り広げられました。日本からは163名の選手が参加し、過去最多となる52個 (金17、銀15、銅20)のメダルを獲得することができました。今回、日本選手団本部役員として 参加する機会を得ましたので、その概要を報告します。なお、本大会には当センターから 病院沼山医師、浅野看護師の両氏も役員として参加されました。

【競技が開始されるまで】
 9月10日(金)、羽田空港内で行われた結団式、壮行会を終えたあと、慌しくチャーター機に 乗り込みアテネに向かいました。渡航中は、給油のためモスクワ空港に立ち寄ったことを除けば 概ね順調な旅路であったと思います。現地に到着して間もなく、入村手続き、大会の情報収集、 移動支援、住居の不具合への対応など、かなり多くの仕事をこなしました。 また、開会式が始まるまで選手達は慣れない環境下での練習に汗をかき、役員は予期せぬ事態への 対応に冷や汗をかいていました。


パラリンピック 開会式

【日本選手団本部役員の仕事】
 日本選手団本部役員の仕事は、大きく分けて医療、栄養、通訳、競技、広報、輸送、総務が あります。私の仕事は競技に関することが中心でした。担当する競技の試合がないときは、 日本人選手の競技成績の集約と記録の整理、翌日の競技日程を作成する総務のお手伝いをしました。 朝8時から夜11時までが勤務時間で、当然のことながら土、日、祝日はなく、端末に表示される 各競技の成績・記録をリアルタイムで拾うという地味で根気を要する作業が主な仕事でした。 しかし、この仕事は、選手や関係諸機関の方々に情報提供をする仕事の一端を担っており 大変重要な仕事と言えます。これまで、競技団体の監督、コーチとしての大会参加の経験 しかなかった私にとって、裏方の仕事の大切さと苦労を知る良い機会となりました。


パラリンピック 選手村の食堂

【競技会場に行って】
 同行した3週間のうち、5日間を競技支援コーチとして競技団体(アーチェリーとゴールボール) に同行しました。競技支援コーチの主な役割は、監督・コーチのサポートであり、その仕事内容は、 選手の誘導、介助をはじめ、一定レベル以上の知識を要するエージェントと呼ばれる役割まで 多種多様な仕事があります。パラリンピック開催期間のほとんどを本部事務室(地下室)で 過ごしていた私にとって、競技会場で仕事をしたこの時間は、本当にアテネに来て良かったと 思えるひとときでした。正直なところ競技支援コーチとして競技会場に同行することがなければ、 ほとんど競技を観戦することがなかったかもしれません。アーチェリーでは、銀メダル2、 銅メダル1を、ゴールボールでは団体競技として唯一の銅メダルを獲得するなど、選手は大変 素晴らしい活躍をしました。


パラリンピック アーチェリー

パラリンピック ゴールボール

【アクロポリスを訪れて】
 閉会式から一夜明けた29日(水)半日ほど自由時間をいただきました。ボランティアの運転する 車で世界遺産にも指定されているアクロポリスに行きました。アクロポリスは、古代ギリシャ語で 「都市の一番高い場所」を意味します。パルテノン神殿や博物館がある頂上までは石造りの 急な階段が続き、これまで車いすでの見学はできませんでした。しかし、パラリンピックを機に パルテノン神殿があるアクロポリスの丘の北西側の壁面に車いす用のエレベーターが設置され、 車いすの利用者も観光ができるようになっていました。私は神殿の見学を終えてから、 このエレベーター(とりかごと呼ぶ方が適切?)を利用しようと考えましたが、あまりの高さに 足が竦んでしまい乗車寸前で乗ることを断念してしまいました。この他、大会開催期間中は、 アクレカードを提示すればアクロポリスへは無料で入場することができましたし、市内を走る鉄道も 無料で利用することができました。パラリンピックを機に「障害者に優しい国づくり、町づくりが」 がより一層進んでくれることを望みます。


アクロポリス

【おわりに】
 帰国後に知ったのですが、本大会では予想を遙かに上回る80万枚以上のチケットが販売された ようです。また、3,100人以上のプレス関係者と50人以上の放送関係者がアテネ入りし、 大会を世界に伝えたとのことです。あらためて、多くの人が障害者スポーツに目を向けている ことを実感しました。近年、障害者スポーツは、リハビリテーションとしてのスポーツから パラリンピック大会を頂点とするエリートスポーツへと変貌しつつあります。しかしながら、 その底辺にはリハビリテーションの一部として行うスポーツや、誰もが参加できる社会スポーツが あることを忘れてはいけません。今回、パラリンピックアテネ大会に出場した選手の中に、 当センター病院・更生施設のOB・OGをはじめ現役の方が数多く含まれていたという事実が 示すように、病院や施設で取り組まれるスポーツ活動が今後とも活発に展開されなければ ならないと思います。私も含めて体育関係者はより一層精進する必要があると言えます。 終わりに、今回の出張に際して、職員の皆様や多くの方々から賜りました御厚情、御支援に 対しまして、心から御礼申し上げます。