〔学院情報〕
平成17年度学院卒業式
学院事務室



 去る3月7日(火)の10時から、当センター学院講堂において、厚生労働省 社会・援護局障害保健福祉部企画課 角田宗広国立施設管理室長補佐を始め、多 数のご来賓や当センターの幹部職員のご参列をいただいて、平成17年度学院卒業 式を開催しました。
 この式典では、開会の冒頭、当センターの佐藤総長より卒業生一人一人に卒 業証書の授与があった後、牛山学院長が式辞を述べました。(別記1)
 次に、前記角田補佐が厚生労働大臣の祝辞を代読されました。(別記2)
 その後、当センター佐藤総長が祝辞を述べられました。(別記3)
 引き続き、来賓紹介及び祝電披露が行われた後、言語聴覚学科1年の小池学 君が、卒業生を送ることばを述べました。(別記4)
 これを受けて、視覚障害学科2年の加藤晶子さんが、卒業生の別れのことば を述べました。(別記5)
 最後に、蛍の光の斉唱をした後、卒業生を出席者全員の拍手によりお送りし 、卒業式を終了しました。
 あでやかな振袖姿の卒業生も散見されるなど、おごそかな中にも華やかさが 印象に残る卒業式でした。卒業生皆様方のご活躍を祈ります。

 
  (写真)平成17年度学院卒業式  


(別記1)

学院長式辞


 このセンターには緑濃き花咲く木々が多く、様々な野鳥が飛び交っておりま す。
「行く春や 鳥啼き魚の 目は泪」
 松尾芭蕉が奥の細道で有名な奥州に旅立つ日、江戸の隅田川に架かる千住大 橋のたもとで見送りの人々に別れを告げ、この句を残しました。
 本日、学院を卒業される言語聴覚、義肢装具、視覚障害、手話通訳、リハビ リテーション体育の5学科76名の卒業生の皆さん、卒業おめでとうございます 。入学以来、授業・実習において厳しい諸先生方の指導に耐え、科目試験を通 過し、最後に心血を注いで卒業研究を完成させ、今日の晴れやかな日を迎えた ことを心からお祝い申し上げます。卒業研究の発表を聞き、また論文を読ませ ていただきました。それぞれの専門分野において実験計画を立て、観察された データを統計学的手法で検定し、いずれもすばらしい発表でした。臨床研究や 手話による発表も同じ様にすばらしいものでした。
 さて、これから皆さんは臨床の現場で、病気や障害のある方々に、学院で学 んだ知識と技術を持って接し仕事をする訳であります。皆さんは既に一つの専 門分野を選択されていますが、専門はさらに細分化され勉強していくでしょう 。仕事以外のことにも関心を持たれるでしょう。日常的にしなくてはならない ことにも時間を取られるでしょう。700年ばかり前、鎌倉時代に徒然草を書いた 吉田兼好法師は次のような話しを残しています。ある親が息子に、学問をして 因果応報の道理を知り説教師になったらどうかと言いました。そう言われて息 子はまず説教師として招かれた時に、迎えの馬が来て落馬して怪我でもしたら 後で困るだろうと乗馬を習った。次に法事の後でまったく芸ができないのは、 座がしらけてしまうであろうからと歌を習った。そうこうしているうちにその 二つの道に熱が入り肝心の説教を習う暇がなく、歳をとってしまったというの であります。兼好は「一生のうち、望ましい事の中で優先すべき事をよく思い 比べて、第一のことを定めその他は思い捨て、ひとつの事を励むべし」といっ ております。そしてその結果、「他のことができなくても傷つくことはない、 人のあざけりをも恥じることはない、第一のこと以外は思い捨てて、一事を励 むべし」(徒然草百八十八段)と述べております。自分の専門以外のことは知 らなくても良いというわけではありません。遊びや息抜きも必要です。しかし 自分が思う優先順位1位を必ず修めるよう心に留め、目前のことばかりに取り 紛れて毎日を過すなというのであります。皆さんもこれからの長い一生の時間 を有効に使い、それぞれの専門家になって頂きたいと思います。今日からこの 学び舎を離れ、芭蕉と同じように皆さんは全国に旅立ちます。どうか健康にく れぐれも留意し末永くご活躍されることを祈念し、私の式辞といたします。

平成18年3月7日
国立身体障害者リハビリテーションセンター学院長
牛山 武久

(写真)学院長式辞


(別記2)

厚生労働大臣祝辞


 国立身体障害者リハビリテーションセンター学院の卒業式に当たり、一言お 祝いを申し上げます。
 本日卒業される皆様、誠におめでとうございます。
 皆様方は、当学院に入学されて以来、たゆみない努力を積み重ねてこられま した。これまでの皆様方の日々の努力に対し、深く敬意を表しますとともに、 新たな出発に当たり、心からお祝いを申し上げます。
 これから、皆様方は、障害者のリハビリテーションを始め、保健・福祉・医 療分野の専門職として、全国各地において活躍されることになります。
 皆様方には、常に、当学院の卒業生としての誇りと自信を持ち、これまでに 培ってこられた知識と技能を十分に発揮されるとともに、当学院を卒業され全 国各地で活躍されている多くの諸先輩方に続き、地域社会で信頼される専門技 術者として、今後とも、一層の研鑽を重ねられ、障害者の福祉の推進に御尽力 いただくことを期待しております。
 厚生労働省では、障害者の自立を支援し、地域で安心して生活できるように することを中心的な課題として、積極的に施策を展開しております。
 今後とも、障害の有無にかかわらず国民が相互に人格と個性を尊重し安心し て暮らすことのできる地域社会の実現を目指して、障害保健福祉施策の更なる 充実を図ってまいります。
 終わりに、本日御出席の御来賓の方々を始め、関係者の皆様には、日頃より 、当学院の運営について、温かい御理解と御協力をいただいていることに対し まして、厚く御礼申し上げますとともに、今後とも一層の御支援を賜りますよ うお願い申し上げまして、お祝いの言葉といたします。

平成18年3月7日
厚生労働大臣 川崎 二郎
(代読 国立施設管理室長補佐)

(写真)厚生労働大臣祝辞


(別記3)

総 長 祝 辞


 卒業生の皆さん、ご卒業おめでとうございます。また、学院の関係者の皆さ んもご苦労の甲斐あって、本日の卒業式を迎えることが出来ました。おめでと うございます。
 当学院の各養成コースは、いずれも全国に先駆けて開設されておりますが、 これまでに卒業された多くの先輩は各分野のリーダーとして活躍されておりま す。卒業生の皆さんにおかれても、それぞれの分野のリーダーとして、大いに 活躍されることを期待しております。
 自分のルーツをしっかりと認識しておくことは重要なことです。皆さんご存 知のところですが、当センターが国立身体障害センター、国立聴力言語障害セ ンター、国立東京視力障害センターの3施設の統合によって昭和54年に設立さ れました。前施設の歴史が現在のセンターの伝統を形作って来ております。本 日は、統合された3施設についてお話しすることによって、皆さんが学ばれた この学院の源流についてお伝えいたそうと思います。
 最初に、国立身体障害センターの義肢装具製作部等の歩みですが、昭和6年 に、満州事変による戦傷者のための陸軍義肢製作所が世田谷区用賀に作られま した。第二次大戦の終戦後には多くの義肢製作が行われた訳ですが、戦勝国の 米国においては昭和22年にはすでに機能義肢の基礎研究結果もできておりまし た。昭和29年に卑田次長が米国視察された折に、わが国の遅れを痛感され、資 料を持ち帰られております。それを基に中島和夫技官などが製作をはじめ、昭 和31年のニューヨーク大学トスバーグ氏を招聘しての大腿義足研修と昭和32年 の横須賀米軍病院コンラッド氏による下腿義足の研修を見事に成功させており ます。そして、昭和33年以降は 自力で新しい技術を取り入れた研修会を行い 、その普及に多いに貢献しております。昭和37年には念願の付属補装具技術研 修所が開設されておりますが、中島和夫技官はその年に病死されております。 病名は分かりませんが、研修会の準備から付属補装具技術研修所開設までの過 労が原因であったとすれば、まさに命がけのことであったと思います。
 次に国立東京視力センターですが、厚生省が出来たと同じ年、昭和13年に戦 争(満州事変、支那事変)によって失明された方々に対する職業補導業務が東 京第一陸軍病院において開始されております。その後、第二次大戦後には旧軍 の解体に神経を使いながら軍事保護院を一般国民のための施設へと変換するこ とになりますが、当時のもう一つの難問は、視力障害者に医療資格を与えるこ とに対する米国側の抵抗が非常に強かったことです。それらの問題を解決して 、戦後の身体障害者施策の先駆けとなった国立光明寮が設置されました。昭和 23年11月に国立東京光明寮となり、後に国立東京視力センターとなっておりま す。そのセンター跡は現在ケヤキや桜の木の緑豊かな杉並区立梅里中央公園と なっておりますが、国立東京光明寮が発足した年にはヘレンケラー女史も訪れ ております。
 ところで、単に「あはき」だけでは視覚障害者の活動の場を狭めるのではな いかと初代の木村所長も危惧されておりましたが、昭和33年には生活訓練法や 職能訓練の成果が初めてまとめられ、昭和42年に「新しい職域開発と歩行行動 等の社会生活適応訓練方式の基礎的、技術的研究」を目的とする「研究室」が 設置されております。
 最後に国立聴力言語障害センターですが、昭和31年3月1日「国立ろうあ者 更生指導所」として発足しております。
 その発足時から関わられた第4代所長堀内申作先生は、「更生指導とともに 聴能言語センターとして診療と研究に主眼をおくべきだと考え、当時としては 選り抜きの難聴言語スタッフを送り込んだ。設立のころから、優秀な言語療法 士を養成して世に出そうと考えたが、養成所の設置に私どもは言語治療の未来 に胸を膨らませて大喜びした。」と書かれております。
 現在、社会保障制度基礎構造改革が進められております。これは、社会の諸 制度、経済システム、情報システム、産業構造等の変化に呼応した大きな改革 であり、障害者自立支援法にとどまらず、変化は今後さらにめまぐるしくなる ものと思われます。
 しかし、今述べたように、当センターの前身は、いずれも極めて厳しい社会 情勢下にその養成課程を作り上げております。その伝統を引き継ぎ、新たな学 科を加えながら充実してきた当学院において学ばれた皆さんにおかれては、そ の精神を、耳で、目で、肌で感じ取っているはずです。どうか、当学院の卒業 生であることを自覚され、今後の変革の時代を乗り切って下さい。
 堀内申作先生は「国立聴力言語障害センター21年のあゆみ」の巻頭言を、「 いまや、本センター各部所とも漸く根を張り、芽を出したという形になってき た。所沢のリハセンターへの植え替えはその時に多少とも勢力を削ぐことはあ るが、これによって新しいエネルギーが注入され、将来への大飛躍に備えるこ とができるのである。大いにがんばろうではないか。」と結んでおられます。
 この堀内先生のエールを皆さんにお伝えしながら、卒業生並びに卒業生を送 り出す学院の今後の着実なる発展を祈念して私の祝辞と致します。

平成18年3月7日
国立身体障害者リハビリテーションセンター総長
佐藤 コ太郎

(写真)総長祝辞


(別記4)

送ることば


 例年になく厳しかった冬の寒さも、ようやく和らぎ始め、センターを囲む桜 のつぼみも少しずつ膨らみ始めています。言語聴覚学科、義肢装具学科、視覚 障害学科、手話通訳学科、リハビリテーション体育学科、総勢76名の皆様、本 日ここに各学科を修了し、晴れてご卒業の日を迎えられましたことを、在校生 を代表して心よりお祝い申し上げます。
 入学式に、それぞれの志を胸に学院の門をくぐり、今、この学院生活をしめ くくる卒業式を迎えられ、皆様の胸中には多くの出会いや経験が甦っているの ではないでしょうか。まずは、それぞれの専門分野を築き、先導してこられた 諸先生方との出会い、その先生方の熱心なご指導のもとで、それぞれの専門分 野において多くの技術や知識を習得されたことと思います。そして、全国から 同じ志を持ってこの学院に集まった仲間との出会い、授業や実習で多忙な毎日 を共にし、ときには励ましあい、お互いを刺激しあいながら成長を共にしたか けがえのない仲間を得、強い絆を築かれたのではないでしょうか。そしてこの 学院での様々な出会いや経験を通して、入学時に抱いていた志を育て、リハビ リテーションという分野における自分の役割について確固たる信念や決意を手 にされたのではないでしょうか。これからの人生には、幾多の難問や、分岐点 が待ち受けていることと思います。しかし、学院生活での出会いと信念が、そ の困難を乗り越えていく大きな力となることと信じています。
 私たちは、様々な場面で先輩方の姿に驚かされてきました。避難訓練や体育 祭で大勢の方の前で堂々と手話通訳をされる姿、体育祭で入所者の方々を誘導 し、励まし、ゴールを共に喜ぶ姿、日が沈んでも、毎晩遅くまで学院前の横断 歩道を何度も往復し、歩行訓練の練習に打ち込む姿。また交流会では、手際よ く装具を作る自信に満ちた先輩の姿などを目の当たりにし、それぞれの専門性 の高さとそれに懸命に打ち込まれる先輩方の熱意に感激し、同じ学院生として 誇らしく感じました。そして、毎晩遅くまで実習やボランティア活動の準備に 取り組み、またどんなに忙しくても、私たちの質問や相談に丁寧に応じて下さ った同じ学科の2年生にはいつも刺激され、励まされてきました。どの学科に おいても、先輩方の姿は一番近くて大きな目標となっていたのではないでしょ うか。そんな先輩方が卒業してしまうことは心細くもありますが、私たちも、 近い将来先輩方と共に社会的使命を果たせるよう、残された学院生活の一日一 日を大切にし、努力していきたいと思います。卒業生の皆様におかれましても 、学院で培った知識、技術、そして志を卒業後もさらに磨き上げ、地域に根ざ したリハビリテーションの先駆者として、全国で活躍されることを心より願っ ております。
 最後に皆さま方のご活躍とご多幸を心からお祈りして、送別の言葉とさせて 頂きます。

平成18年3月7日
在校生代表 言語聴覚学科1年 小池 学長


(写真)送ることば


(別記5)

別れのことば


 春を迎え、桜のつぼみもふくらみ始める季節となりました。
 本日は、お忙しい中多くのご来賓の皆様にご臨席を賜り、このような盛大な 卒業式を挙行していただき、誠にありがとうございます。
 晴れてこの日を迎えることができましたのも、佐藤総長はじめ、牛山学院長 、諸先生方、当センターの職員の方々、ならびに私たちが出会った多くの方々 の温かいご指導、ご支援のおかげと、卒業生一同深く感謝いたしております。
 学院生活を振り返ってみますと、全国各地から同じ志を胸に集まった私たち が、この学院に入学したことが昨日のことのように思い出されます。
 この学舎において、朝早くから夜遅くまで互いに励まし合い、勉学に励んで 参りました。実習では、机上では学べない現場の厳しさ、先輩方の熱意、多く の人との出会いを通して、今後の活力を得ることができました。
 また、他学科の学生との交流を通して、専門分野は違っても、リハビリテー ションに関わる仲間として互いに影響し合い、成長することができました。
 この学院生活で培った知識や技術はもちろんのこと、教官をはじめ諸先生方 のリハビリテーションに対する真摯な姿勢は、私たちの今後の目標となると共 に、いつの日か新たな道を切り開くための礎になることと思います。
 在校生の皆さん、私たちは本日卒業し、お別れとなりますが、同じ道を志す 者として共に頑張っていきましょう。そして、いつの日かまた同じ現場でお会 いできることを楽しみにしています。
 諸先生方、ならびに多くの皆様、これから私たちは、学院での日々を胸に、 それぞれの道を歩んでいきますが、経験も少なくまだまだ未熟者の私たちを、 今後とも温かく見守っていただきたく、お願い申し上げます。
 最後になりましたが、学院の益々のご発展と、本日ご臨席賜りました皆様の ご健勝を心よりお礼申し上げ、お別れの挨拶とさせていただきます。

平成18年3月7日
卒業生代表 視覚障害学科2年 加藤 晶子


(写真)別れのことば