〔国際協力情報〕
中国リハビリテーション研究センターの20年
更生訓練所長 江藤 文夫


 この夏8月29日から9月5日にかけて、中国リハビリテーション研究センター(CRRC)を15年ぶりに訪問した。中国にもわれわれの センターと同様な総合的リハビリテーションセンターを建設したいという中国側の要望を受けて、JICAを通じて国際協力事業がスター トしたのは1986年のことである。当初は5年計画と聞いていたが、20年間にわたる長期的な事業となり、今年をもって一段落というこ とである。ついては、初期に関わった日本側の専門家に成果を見て欲しいという要望が二瓶隆一先生を通じて当方に伝えられた。20年 間を通じて援助事業に一貫して関わってこられた二瓶先生からの伝言には逆らえない。
 1985年度の予備的段階の最終事業として事前調査団に同行するよう津山直一先生(第2代総長)より自宅へ電話があり、興味本位で お供をすることとなった。年度末ぎりぎりの1986年3月31日に成田を発った事前調査団の団員は、津山総長以下、二瓶隆一、河野康徳 、木村哲彦、佐藤忠と私の6名だった(敬称略)。中国側の代表団である残疾人福利基金会(1984年発足、現中国残疾人聯合会すなわ ち障害者連合会)との毎日の協議、ならびにセンター建設予定地(写真1)の視察や情報収集の後、帰国予定日の前日の4月8日に津 山団長と基金会の王魯光団長との間で議事録の署名が交わされた。なお、この調査団で私は報告書作成のため、中国の肢体障害者の現 状と医学教育を含めて医学的リハビリテーションの現状をまとめるよう指示された。
 援助事業は1986年後半より順調にスタートし、1987年度前半には第1回医師研修会が中日友好病院衛生学校で実施された。この研修 会では「片麻痺のリハビリテーション」を中心に講義を分担した。5年目の1991年には約1ヶ月間北京に滞在し、各種講義や技術指導 に関わった(写真2)。この間に、この事業だけでなく1982年以来数箇所に設置された中国リハビリテーション医学の拠点により、急 速に医師人材の養成が展開していることを研修会に参加した中国人医師から感じることができた。以後はCRRCを訪ねる機会はなくなっ たが、1992年11月には日中国交回復20年を記念して北京市で開催された日中友好医学会で講演したり、中国人留学生と接したりする機 会が増すことでCRRCや、その病院である博愛病院の活動の様子を耳にすることは度々あった。
 今回はCRRCと博愛病院の現況について実際に見学する機会はなかったが、空港に到着して直ちに案内された中国障害者連合会の高齢 者施設では、その規模の大きさに驚嘆させられた。翌日の土曜日にセンターの講堂で学術報告会が開催された後は、月曜日から李建軍 病院長の引率で西安と桂林を訪問した。西安にも博愛病院があり、桂林のある広西壮族自治区では州都のある南寧を中心にも障害者連 合会の地域リハビリテーションの活動が展開し、それぞれ幹部の人々との交歓会がもたれた。いずれも北京とは異なり独自性をもって 、地域性にかなった運営を目指しているように感じられた。
 今回の中国訪問では、20年の歳月がなんとも短く感じられたが、20年前には予想し得なかったほどの変革と発展が達せられるに十分 な時間であったということである。近年、中国の知人は日中両国の関係を「一衣帯水」と表現するが、隋の文帝の言葉と聞くとなかな か複雑な意味もありそうである。いずれにしても、当センターとCRRCとは新しい関係を構築するときを迎え、国際協力のニーズは尽き ることがない


(写真1)整地作業が進む中国リハビリテーションセンター建設予定地(1986年4月)
写真1:整地作業が進む中国リハビリテーションセンター建設予定地(1986年4月)

(写真2)完成した中国リハセンター病院(博愛病院)(1991年4月)
写真2:完成した中国リハセンター病院(博愛病院)(1991年4月)