〔センター行事〕
平成19年度第1回職員研修会開催報告
更生訓練所長 江藤 文夫


 平成19年度の第1回職員研修会は、恵泉女学園大学の学長で当センターの運営委員でもある木村利人先生を講師にお招きして、本年6月29日(金)に開催されました。ご講演のタイトルは「新しい時代の生と死を考える」です。

 初めに先生のご略歴を簡単に紹介させていただきます。木村利人先生は、1957年に早稲田大学第一法学部卒業後引き続いて大学院に進学され、1964年博士課程を修了されました。その翌年よりタイ国チュラロンコン大学講師、1970年からベトナム国立サイゴン大学教授、1972年からスイスジュネーブ大学大学院教授、1978年より米国ハーバード大学研究員等を経て、1980年から米国ジョージタウン大学ケネディ倫理研究所国際バイオエシックス研究部長に就任されました。また、あわせて国内では1987年より早稲田大学人間科学部教授としてバイオエシックスを担当され、ご退職後は同大学名誉教授となられ、2006年から現職としてご活躍されています。

 当日のご講演は、バイオエシックスの研究にかかわってこられた時代配列に沿って、@ベトナムでのGenocide体験―新しい死と障害、枯葉作戦の実態とダイオキシン(サイゴン、1970〜72)、AスイスでのGeneticsの倫理―新しいいのちの質、Quality of Life国際会議(チューリッヒ、1973)、BアメリカでのGenome Projectの展開―新しい生と医療、ヒロシマ(1940〜50)、HGP(ベセスダ、1980年代)の順に話されました。バイオエシックスとはどのような学問か、そして医学の進歩により遺伝子レベルでの介入を実現し、普及しつつある時代に生命の質と死について我々はいかに対処すべきかについて熱く語りかけられました。

 大変重たいテーマですが、研修会に出席した職員の誰をも眠りに引き込ませることなく、熱心に耳を傾けさせたのは、幅広く身近な話題を織り込みながら進める素晴しい話術でもありました。先生は、学生時代にボランティアとしてフィリピンに出かけ、公衆衛生に関わるトイレ造りの普及活動などに参加され、太平洋戦争の傷を現地の人々の目からも意識されたそうです。そこで耳にした民謡に作詞されたのが、1959年に坂本九が歌って大ヒットした「幸せなら手をたたこう」です。こうして早くから東南アジア諸国とのつながりをもたれた先生が、サイゴン大学で東南アジア比較家族法学の研究と教授をされていたある日訪ねて来た一人の学生によって、ベトナム戦争でアメリカが実施した「枯葉作戦」の実態、すなわちGenocide(種族抹殺、遺伝子抹殺)に気づかされたそうです。そして、研究テーマを生命科学と生命・人権侵害の問題、すなわちバイオエシックスの研究へ移していかれました。はじめに先生のお弟子さんが制作したベトナムのドキュメント映像が紹介されましたが、枯葉作戦の後遺症のフィルムは強いインパクトを与えたものと思います。

 ナチスの人体実験、関東軍第731部隊(石井部隊)の人体実験、広島、長崎における原爆実験、その他いくつかの人権を無視した非道がもたらした情報が今日の宇宙技術やゲノムプロジェクトを推進した事実を紹介し、健全な医学と医療の発展のためにはバイオエシックスが不可欠であることを強調されました。伝統的な医療側が裁量権をもって治療行為をするというパターンはニュルンベルク綱領を起点に大転換を求められ、医療においては「インフォームドコンセント(IC)」が必須となりました。このことを我が国にも積極的に導入するよう木村先生は1970年代から主張されてきました。当時、我が国ではありえないとされたICが25年を経て定着するに至ったことは、日本が変革への素地をもった国であることの証であるとも述べられました。

 先生は、日頃から障害をもつ人への差別や偏見に対してもバイオエシックスの立場から発言し、「障害者によって豊かにされる社会」についても述べてこられました。センターの運営委員のお一人として、障害者の自立を支援する事業を、医療や研究を含めて展開しているリハセンターの活動への期待が大であることを述べ、多大なエールをお送りくださいました。また、センターの今後のあり方や目指すべき方向についても示唆されたようにも感じます。

 木村先生には多数の著書がございますが、当日の研修会に都合で出席できなかった方々だけでなく参加された方々にも、バイオエシックスについて分かりやすく書かれた「自分のいのちは自分で決める」(集英社、2000年)を一読されることを是非お勧めいたします。



(写真1)講演される木村利人先生
講演される木村 利人先生