〔国際協力情報〕
ペルー国立身体障害者リハビリテーションセンター
施設移転プロジェクト
ペルー国、リマ市出張(2007年6月23日〜6月30日)
総長 岩谷 力


 2年前に、日本とペルーとの友好を促進するために、ペルー国立身体障害者リハビリテーションセンター(Institute Nacionale Rehabilitacion:INR)の新たな土地への移転援助が日本政府からペルー国政府に提案され、日本からJICA調査団(佐久間部長が技術顧問として参加)が派遣されたが、しばらくの間計画は進まなかった。このたび、この計画の実現することとなり、ペルー国政府と日本国政府が協力してINRの移転をする病院の規模、運営、建設計画を具体化するためのコンセプトを協議するためのJICA調査団員として1週間(実質5日)ペルー国、リマ市を訪れた。

 調査団は、JICA職員2名、技術顧問1名(岩谷)、建設コンサルタント3名、通訳1名の計7名であった。建設コンサルタントと通訳の方々は私たち3名より1週間早くにペルー入りしていた。成田を夕方5時に発って、ロスアンジェルスを経由し、リマまで飛行時間、19時間、ロスアンジェルスでの乗り継ぎ時間2時間半計21時間余の旅で、リマに着いたのは夜中の12時であった。ペルーは冬で、気温は最低気温12度、最高気温19度で、日本の春先くらいの気温であったが、一日中曇天で、湿度が90%と高く、風が吹くと体感温度はきわめて寒く感じられた。冬の間、リマでは太陽がでることが稀で、曇天が続くということである。それは、緯度は低く、陽光は強いもののリマの海岸を南極に端を発するフンボルト寒流が流れており、冷気が雲となって太陽を遮るためという。海岸から少し内陸に行くと晴れた気候になり、気温も上がり、さらに内陸はアンデス山脈で、アマゾン河の源流の密林地帯とのことである。

 リマは1年を通して、気温は10度台で、暖房も冷房もない建物が多い。部屋の中でもマフラーや、コートを着て会議をする人もいるほどである。我々は、会議中、足もとから冷えてくるため、体調のコントロールが難しかった。団員全員、寒さにふるえた調査であったが、私は、3日目にあまりの寒さに、ポンチョを買ってその後の会議では膝掛けにしたほどでした。

 リマ市は人口が800万人、もうすぐ1,000万人に達する大都会である。交通機関は鉄道が1路線だけあるが、交通手段は車に依存している。乗り合いバス(大きなバスと小さな7〜8人のりのワゴン車)、タクシー(日本の軽自動車サイズのものも多い)が通常の交通手段である。朝夕の道路は大変な渋滞で、割り込み、車線変更が激しく行われ、荒っぽい運転の車が多く、車での移動は冷や汗の連続であった。

 INRは、中心街から離れ富裕層の人々は近寄ることを嫌う貧困地区にある。1969年にアメリカでリハビリテーション医学を学んだAdriana Rebaza Frores先生によりはじめられた。運動障害(脊髄損傷、切断、脳卒中)認知障害(知的障害、高次脳機能障害)、聴覚言語障害、脳性麻痺児の外来リハビリテーション診療が中心の医療施設で、入院施設は脊髄損傷患者のみを対象としている。診療部門はmental rehab.とmotor rehab.に分かれ、mental rehab部門には、言語聴覚、認知、脳性麻痺、知的障害の診療科が、motor rehab.部門には、物理療法、痛み、作業療法、運動療法、義肢装具の診療科と薬局、放射線、臨床検査、義肢装具制作、図書、給食、洗濯、施設、会計、診療予約などの部署がある。

 職員は正職員275名(医療職167名、事務職・補助員108名)、リハビリテーション医は19名、医師の診断、処方の後、リハビリテーション治療が行われる。セラピストは105名(全体)、看護師は84名の陣容である。

 2004年の一日平均患者数1,083名(診察190名、治療893名)、一人あたりの通院回数は平均15〜16回、通院頻度は週に平均2〜3日である。通院手段はタクシー、バスが多い。入院患者は脊髄損傷者に限られ、ベット数32床、2004年の入院患者130名、平均在院日数112日であった。

 患者は、診療費を払えない人が多く、病院の診療費収入の90%は政府の補助による。診療費を支払うことができない貧困者の医療費を確保することはケースワーカーの重要な仕事とのことであった。

 病院施設は、面積7,400平方米の平屋建てである。そこに、数多くの部屋が網の目のように配置されている。運動療法訓練室は、我がセンター本館の大会議室程度の大きさで、時間により切断者、脳卒中後遺症者、脊髄損傷者の治療が分けて行われている。リハビリテーション治療技法は我が国と大きな違いはないようであった。

 建物は古いが、手入れが行き届き、清潔で床にはチリ一つもなく、医療機器も古いもののしっかり管理されている印象を受けた。義肢装具製作室は、機材は古いが充実している。原材料が不足しており、短下肢装具の足部は、塩化ビニールパイプを用いて作成している。義足のフィッティングは1ヶ月弱ですまされている。義肢装具製作室の入り口には守衛がいて、工具などの持ち出しがないように目を配っていた。

 新施設の移転予定地は、市街地から離れた新興地区で軍の車両の点検修理施設のあった土地で、現在も軍の管理下にある。保健省が軍から譲渡をうけて、新施設の建設を予定している。

 今回の調査は、施設の全体構想と日本の担当部分について協議し、合意を取り交わすことが目的であった。2年前の調査では、施設の50%ずつを日本とペルーが建設することとし、日本はmotor rehab部門の建設を担当することとされていたが、ペルー保健省が残りの部分の建設費用をまとめて負担する見込みが立たないため、日本が建設する部分にmental rehabならびに中央診療、管理部門を含めて欲しいと強く要望された。調査団としても、日本の援助で建設する施設が、ペルー側が分担する施設の完成を待たないと機能しないようなことになることを避けるために、当初からできる限りコンパクトな施設に、できるだけ多くの機能を含む計画案を提案する方針であった。それというのも、ペルー国の主要な健康問題は妊婦、幼児、思春期、高齢者の健康問題であり、障害者のリハビリテーションは対象外であり、保健省がINRのために多くの予算を得ることができないという背景がある。

 今回の調査団とペルー国INRとの話し合いの結果、建設計画の基本方針について合意が得られた。基本方針に則り、来年2月までに、基本設計を作り、両国の政府間協定を経て着工し、2010年年度末に完工の予定である。

 現状は、INRが国の中心施設として、障害者の診断、治療、リハビリテーション、福祉、地域リハビリテーションなどの体制を整えるスタートラインに向かいつつあるところという印象であった。日本大使館、JICA事務所との話し合いのなかで、新しく移転する病院施設を拠点として、リハビリテーション医療の充実をはかり、研究、専門職教育を行いつつ、障害者医療・福祉制度の発展を推進する機関として育っていくことを日本が支援できれば、非常に大きな国際協力、国際貢献となると言う認識で一致した。


 写真は、INRの玄関で調査団と病院関係者の集合写真。岩谷は寒さに耐えられずに買い求めたポンチョを着ている。



(写真1)集合写真