〔国際協力情報〕
第7回障害統計に関するワシントン・グループ会議に出席して
更生訓練所長 江藤 文夫


 2007年9月19日から21日までアイルランドのダブリンにおいて障害統計に関する国連のワシントン・グループ(WG)会議が開催され、出席いたしました。個人的関心もありましたが、予想していた通り、本来なら統計部門の専門家が出席すべき会議でありました。しかし、日本からの出席は初めてと思われるとのことで、期待はされないけれど歓迎はされました。実は、第1回の会議が2002年2月に米国のワシントン市で開催されたおりに佐藤コ太郎先生が出席されて以来というのが正確であり、この時には31カ国からの代表1名以上と、ユーロスタット(EUの統計部門)、WHO、国際障害者機関からの代表など合計約64名が参加したということです。今回のダブリンでの会議は第7回で、36カ国の代表を含めて50名が参加しました。

 WGは2001年6月にニューヨークで行われた障害の計測に関する国連の国際セミナーの結果、設立が計画されたものです。2001年はWHOによりICF(国際生活機能分類)が刊行された年です。ICFはICIDH-2として作業が行われていたもので、障害の定義や分類と関わりの大きいものです。その策定過程で、2000年に障害評価のための別表開発作業を始め、WHOとしてWHODAS(WHO障害評価表)を作成し、現在利用可能となっています。しかし、WGは国連の統計部門が中心となって、米国の国立衛生統計センターにスポンサーをもちかけ実現したもので、WHOのICFの作業とは異なります。通常、国連の作業委員会の名称は最初の会議開催都市名が冠せられるとのことです。

 WGでは、社会福祉の専門家を中心にICFの概念に基づいて障害統計のツールを開発するための議論から始め、その過程で基本情報に関する短い質問紙セット(小セット)と広範囲の情報に関わる拡大質問紙セットを策定することとなりました。小セットの原案(見る、聴く、歩く、思い出したり集中したりするに関する4つの核となる質問と、セルフケア、通常言語でのコミュニケーションに関する追加2質問)が合意され、15カ国でフィールドスタディが実施され、昨年ウガンダのカンパラで開催された第6回会議で報告されました。

 今回は小セットの有用性の確認、小セットに上半身機能に関する質問を追加すること、複数の拡大セットとそのガイドラインについて検討することが主要議案とされました。小セットに質問を追加する討議では、「1ガロン(約4L)の水のボトルを棚に持ち上げる」活動が提案されましたが、それは、「インペアメント」の話だとか、小児、成人、高齢者、男女などを通じて一般的なアクティビティではないとか、普通の家には棚はないという国からの反論などがあり、合意は得られませんでした。核となる小セットは前回からの討議でコミュニケーションに関する質問の表現に修正が加えられ、合意が確認されました。拡大セットについてはICFの概念に即して、複数のドメインをどのように組み合わせるか、ツールとしての妥当性、信頼性等に関する議論がありました。関連して、認知領域での追加質問紙、ブダペスト発議のEUでのツール開発、WHODASを基盤としたアイルランドでの調査などが報告されましたが、勧告案が策定されるには至りませんでした。来年は、フィリピンで10月に開催されると報告されましたが、今回はフィリピンからの出席者はありませんでした。

 国連は当初5年をめどに取りまとめることを目標にしていたようですが、2006年12月の国連での障害者権利条約(CRPD)の採択に伴い、国際比較に耐える障害統計の必要が切実となり(条約の第31条に障害統計の必要について言及)、新たに世界銀行からの資金提供を受けて、かろうじて継続できているのが実情のようでした。障害者とは誰のことなのでしょうか。障害とは何を言うのでしょうか。WHOは障害をもつ人の比率を全人口の10〜12%と見積もっています。国連が関与した障害(disability)頻度に関する国際調査は33カ国による1955年にさかのぼるとされます。国際的な障害の分類作業は近年のことで、当時は標準化された統計的定義も概念も分類様式も確立されていませんでした。というわけで、WGの今後の活動に注目されるところです。

 さて、今回の会議主催国アイルランドの首都であるダブリンは、18年前に国際アルツハイマー協会(ADI)の会議に出席した個人的な思い出の街でもありました。今日でこそ、我が国でも認知症のケアに関心がもたれるようになりましたが、その会議にも日本人で参加したのはひとりきりでした。その時は、トリニティ・カレジ内で行われ、大学のドミトリーに宿泊しました。今回はダブリン城内で行われました。18年前に比べて日本人を含めて観光客の増大は目覚ましいものでした。当時もそうでしたが、会議場でも街中でも接した地元の人々は明るく、親切で、18年前に予想されたとおりのアイルランドの発展になぜか喜びを感じたことでした。


(写真1)ダブリン城。起源は9世紀半ばに由来する。
写真1:ダブリン城。起源は9世紀半ばに由来する。


(写真2)ダブリン城内中庭。ヤード右奥のドアの前に小さな張り紙がある以外、会議の案内はなかった。
写真2:ダブリン城内中庭。ヤード右奥のドアの前に小さな張り紙がある以外、会議の案内はなかった。