〔海外出張報告〕
第一回アジア・オセアニア地区
リハビリテーション医学会議出張報告
赤居 正美



 国際リハビリテーション医学会(ISPRM International Society of Physical and Rehabilitation Medicine)は、各地域(大陸といった方がいいかもしれません)別に地域リハビリテーション医学会を組織しており、ヨーロッパや地中海地域の組織には長い歴史があります。これらには少し遅れましたが、世界人口の半分yを占めるアジア・オセアニア地区でも学会を立ち上げようという動きがあり、数年越しの話し合いを経て今回の第一回会議の開催(1st Congress of Asian Oceania Society of Physical and Rehabilitation Medicine)に至りました。
 2001年1月に日本リハビリテーション医学会がMillennium Symposiumと銘打ち、アジア地区を中心に20数人のリハ医を招き、国際シンポジウムを企画しましたが、その折の参加者の多くが現在自国の指導的立場にたっており、今回の会議でも見知った顔が数多くありました。昨年のソウル学会の際には17カ国(香港特別行政区を含む)であった参加国が、今回は20カ国になっていました。しかし日本を始め、韓国、オーストラリア、ニュージーランドといった学会組織、専門医養成制度も整った国々から、まだリハビリテーション専門医が数人しかいないため自国の学会組織もないというブルネイやラオスも含む広大な地域であり、今後の学会の方向性などはかなり難しくなりそうです。
 第2回大会は2010年の 5月1日〜4日に台湾の台北市(International Convention Center)にて、第3回大会は2012年の 5月17日〜19日にインドネシアのバリ島(Westin Resort Convention Center)にて開催される予定です。
 私はこれまで国際協力機構(Japan International Cooperation Agency)の委託を受け、理学療法士(PT)・作業療法士(OT)養成に関する中国におけるJICAプロジェクトに参加してきた関係もあり、今回の訪中でも、まず北京に立ち寄りました。研究所運動機能系障害研究部の中澤部長とともに北京の中国リハビリテーション研究センターで講演を行っております。私のテーマは変形性膝関節症に対する足底板の効果に関する動作解析、中澤部長のテーマは脊髄損傷における脊髄反射応答の可塑性についてでしたが、特に後者は中国側での関心も高く、次々と質問が続きました。講演終了後に、北京駅から寝台列車に11時間乗り、南京の学会場に到着しています。
 ちょうど5月12日午後に起きた四川大地震の直後でしたので、会議は犠牲者に黙祷を捧げることから始まりました。関節拘縮治療に関する自身の招待講演とともに、AOSPRM理事会や他の講演の座長なども行いましたが、市内を見て回ることもできました。
 南京からの帰りは上海に出て、上海からの飛行機で帰国しました。南京−上海はちょうど東北新幹線「はやて」をまねた電車であり、南京を出てしばらくは時速130〜140kmで走行していましたが、上海近くの新たに設置された線路では時速250kmで走りました。ただし2時間20分間の車内では、携帯電話、ゲーム機をはじめとするありとあらゆる電子音が間断なく鳴り響き、大声での中国語とあいまって、それはそれは賑やかなものでした。上海到着後はまず地下鉄で龍陽路駅まで行き、そこから浦東国際空港まで32kmはリニアモーターカーに乗ることになりました。わずか7分余りの乗車ですが、こちらは時速430kmが出ていました。
 これまでの北京を中心とした経験とは異なるもので、私には非常に興味深いものがありましたが、付き合わされた中澤部長はどう思われたのでしょうか、少し心配でもあります。

(写真1)「夫子廟」。唐の時代から続く繁華街
(「夫子廟」。唐の時代から続く繁華街。)
(写真2)南京〜上海間を走る中国版新幹線「和諧号」
(南京〜上海間を走る中国版新幹線「和諧号」。)