〔寄稿〕
2008北京パラリンピック競技大会に参加して
学院 リハビリテーション体育学科教官 梅崎多美



<はじめに>
 第13回パラリンピックが中華人民共和国の北京(競技によっては香港と青島)で9月6日(土)〜17日(水)の期間、開催されました。過去最多となる147の国と地域から約4,000人の選手が参加し、日々熱戦が繰り広げられました。日本からは162名の選手が参加し、27個(金5、銀14、銅8)のメダルを獲得しました。今回、日本選手団本部役員として参加する機会を得ましたので、その概要を報告します。

 

<出国から開会式まで>
 8月30日、成田空港から北京に向かいました。前回のアテネ大会と異なり、今回は空港が成田と関西の2つに分かれた上に各競技団体で出発日が違ったため、多人数・大荷物での移動が少なく順調に出国することができました。9月1日に入村式を終え、6日に北京国家体育場(鳥の巣)で開会式を迎えました。
 9万人収容できる会場のチケットは完売。私はスタンドから開会式を観る事ができましたが、あまりの人の多さと熱気にめまいがするほどでした。開会式のパフォーマンスの殆どは障害を持った人が出演しており、パラリンピックならではの演出は非常に素晴らしいものでした。

 

<選手村について>
 心配されていた水や食事は、選手村に関しては全く問題ありませんでした。むしろ食べ過ぎてしまう事が多く、体重調整の必要な競技の選手は苦労をしていたようです。
 日本選手団の居住区域は食堂やランドリー、ポリクリニック(診療所)、様々な手続きを行うNPCサービスセンター等、日々使用する施設に近い場所にあり、広大な選手村を移動するのにストレスを感じない場所にありました。居住施設は大会終了後、一般に売り出されるため、各部屋の大きさが違うなど一部使いにくい所もありましたが、概ね快適でした。

 

<本部役員の仕事>
 日本選手団本部役員の仕事は、大きく医療・栄養・競技・輸送・総務に分かれています。私は総務担当で、主な仕事は選手達の生活の援助でした。勤務時間は朝9時から夜8時までで、住居の不具合の改善や競技支援アシスタントの調整、選手達の移動や競技用具搬送の支援などを行いました。裏方の業務でしたが、多くの選手や監督、コーチと話ができる良い機会でもありました。
 日本選手団付きのアシスタントは総勢31名で、そのうちの12名が私と一緒に行動しました。ほとんどが日本語を話せることから言葉の問題はなく、こちらの要求に素早く対応してくれたため、毎日の業務は非常に順調でした。お世話になったお礼に日本語を教えたのですが、私の日本語の方が危ういという始末。持参した電子辞書は中国語や英語ではなく、正しい日本語を調べるために大活躍しました。
 本大会のボランティアは100万人を超えていたと聞きます。大きなトラブルもなく無事大会を終えることができたのも、彼らのおかげだと改めて感じています。

 

<競技会場>
 同行した3週間のうち、半日を利用して車椅子バスケットボールと車いすテニスの応援に行くことができました。会場はほぼ満席で、多くの中国人が「加油!(日本語で頑張れ)」の声援を送りながら観戦していました。日本国内の障害者スポーツ大会においては、このような観客数は決して見ることができないため、その光景には圧倒されました。
 この日、車いすテニスは金メダルを獲得。日の丸がセンターポールに揚がる所を目の前で見ることができ、本当に感激しました。

 

<北京観光>
 開会式が夜であったことから、半日の自由時間に天安門と故宮博物館へ行ってきました。とにかく「大きい」の一言で、スケールの違いを見せつけられました。
 天安門広場には、パラリンピック仕様のモニュメントが数多く飾られていました。また、北京市内のいたる所でパラリンピックの文字を見る度に、国全体で大会を盛り上げていることを肌で感じました。

 

<大会に参加して>
 北京大会での結果は直ぐに日本に伝えられ、多くの人がテレビやインターネットで知ることができたと聞きます。本大会を通じて障害者スポーツは競技スポーツとして周知されたと言っても過言ではないと思います。しかし今回、選手数の減少に悩まされている競技団体があることも耳にしました。病院や施設、あるいは地域社会において取り組まれるスポーツ活動が活発に展開されなければ、次世代を担う多くの可能性は引き出せません。このように脚光を浴びる競技スポーツがあるのと同時に、その底辺には多くの人が参加する社会スポーツがあることも忘れてはならないことを改めて痛感しました。体を動かすことの楽しさ・重要性を伝えていき、多くの人がスポーツに触れる機会が得られるよう、私を含めリハ体育関係者は更に努力する必要があると言えます。
 終わりに、今回の参加に際し、職員の皆様や多くの方々から賜りました御厚情、御支援に対して、心から感謝申し上げます。

 

(写真1)開会式での観客席の様子
開会式での観客席の様子
(写真2)アシスタントの皆さんと
アシスタントの皆さんと
(写真3)選手村内の居住施設
選手村内の居住施設
(写真4)天安門広場のモニュメント
天安門広場のモニュメント

 

 


 
2008北京パラリンピック競技大会に参加して
理療教育・就労支援部 厚生労働教官 江黒直樹

 



 4年に1度の祭典、北京パラリンピックは9月6日(土)に開幕し、9月17日(水)に幕を閉じた。日本からは19競技団体で294名(選手162名、役員132名)が参加し、メダル獲得数は27個(金5、銀14、銅8)であった。前回のアテネ大会と比べてメダル総数は激減した。【アテネメダル総数は52個(金17、銀15、銅20)】
 私は視覚障害者の競技『ゴールボール』のコーチとして参加した。前回(アテネ大会)、初出場で銅メダルを獲得し、今大会も期待されていたが予選2勝5敗の成績で参加8か国中7位の予選落ちであった。
 大会の詳細については、1試合目はアメリカ。体格の差はあるが、前半を終え0対0でアメリカの攻撃をしのぐ。後半も一進一退。双方とも流れを奪えず、このまま終わるかと思われた残り26秒、力で日本のディフェンスの壁を乗り越えられ、アメリカに1点。直後にもう1点追加され、0対2で振り切られた。この敗戦が最後まで波に乗れない原因を作ったのかもしれない。
 2試合目はここ数年対戦していないスウェーデン。特徴的なのは攻撃で横の変化、揺さぶって選手と選手の間にボールを投げ込んでくる戦い方だ。3人で1枚の壁を作ってディフェンスを固める日本にとっては戦いにくい相手。大きなシフトをひかずに対応したが、横の変化に対応できず、早い時間に失点してしまい、1対4で敗れてしまった。
 3試合目は前回優勝したカナダ。日本同様に今大会、カナダも波に乗れていない。ここで勝っていたら展開も変わってきただろうが、先に失点し、逃げ切られて0対3の完敗に終わった。
 4試合目は決勝トーナメントに勝ち上がるためには落とせないデンマーク戦。7月の大会では0対0で引き分けた相手。手の内は知り尽くしている。しかし前半に2つのペナルティーを決められ、後半反撃するが1点止まり。1対2で競り負ける。
 5試合目は地元中国。前半に終了2秒前に日本が先制した。中国にとってリードされて後半を迎えたのは初めてのこと。このまま逃げ切りたいところではあったが、縦の変化、バウンドボールで失点、ペナルティーで失点、最後は横の変化で失点。1対3で負けてしまい5連敗。しかし徐々にではあるが日本のゴールボールが少しずつ表現できるようになってきていた。
 6試合目はブラジル戦。ここ数年2勝2敗1分けで僅差の戦いをしてきた相手。ブラジルのミスでペナルティーを3回もらい、全て決める。3対0で後半へ。1失点はしたが3対1で待望の1勝(勝ち点3)を獲得した。
 7試合目は昨年の大会で優勝をしたドイツ。ディフェンスを基本に試合を進めていくスタイルは日本チームと似ている。どちらが先にミスをするか。ミスをさせるか。コントロール中心に相手の嫌がる攻撃をしっかりできた日本が、ドイツのディフェンスを崩していく。前半を終え、2対0でリード。後半1点を失点したものの最終的には2対1で競り勝ち、2勝目(勝ち点6)を獲得。最終順位7位をつかみとった。
 決勝トーナメントへは予選4位までが出場できる。この時点で日本の出場はなくなり、今大会の成績が決定した。今大会は力の差が均衡しており、早い段階でリズム、流れを作れた国が決勝トーナメントに残った。そして、ミスの1番少なかったアメリカが優勝を手にした。
 今までのパラリンピック(障害者のスポーツの祭典)はオリンピックの付録版で付け足しのようなイメージがあったが、今大会についてはパラリンピックが単独でしっかり運営されていると強く感じた。また、競技者の意識も高まっており、オリンピック同様に世界一を決める4年に1度の国際大会の雰囲気を感じた。世界各地の選考大会においてトップとなった選手同士の発表の場。団体競技でも同様に各大会の上位チームの対戦で、どの国が優勝してもおかしくない状況であった。各国ともこの大会のために選手育成を行っており、日本が遅れていることを痛感した。
 現在、日本の競技団体の問題点として、練習会場の確保及び近隣での宿泊施設の確保が難しかったことが挙げられる。また、国際大会への参加についても同様に、困難が続く状況である。
 世界では障害者と健常者のバリアーフリーが進み、隔たりがなくなってきている。わが日本がオリンピック同様に多くの方々に夢と希望を与える障害者スポーツに目を向け、援助に力を入れていくよう働きかけることや施設等の開放を積極に行い、競技団体に協力していくことなども当センター「障害者リハビリテーションセンター」の一つの使命と私は思います。
 アテネを終えてから北京までの4年間、ご理解とご協力、ご支援いただいた皆様に感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。私自身も今回得たことを今後の指導に役立てていきたいと考えております。

 

(写真1)対アメリカ戦でスローイングする日本選手
(対アメリカ戦でスローイングする日本選手)
(写真2)対ブラジル戦でディフェンスする日本選手
(対ブラジル戦でディフェンスする日本選手)
(写真3)対カナダ戦で紹介を受ける筆者
(対カナダ戦で紹介を受ける筆者)

 

 


 
2008北京パラリンピック競技大会に参加して
病院看護部 泉谷 義明

 

 

 

 9月6日〜9月17日まで開催された北京パラリンピックにウィルチェアーラグビーの審判員として参加する機会を得ました。北京パラリンピックは147カ国・地域から約4,000名の選手が参加し、日本選手団は294名(選手162名、役員132名)でいずれも過去最高の参加となりました。
ウィルチェアーラグビーの試合期間は9月12日から16日までの5日間に渡り熱戦が繰り広げられました。ウィルチェアーラグビーというスポーツを既にテレビや新聞等で知っている方もいると思いますが、車椅子バスケットボールや陸上競技、水泳等に比べて少ないかと思います。そこでウィルチェアーラグビーについて簡単に紹介したいと思います。
 ウィルチェアーラグビーは、四肢麻痺者等(頚髄損傷・四肢の切断、四肢の障害)がチームで行うために1977年にカナダで考案され欧米では盛んに行われています。日本ではこの他にチームスポーツとして車椅子ツインバスケットボールが行われています。
パラリンピックでは、1996年のアトランタパラリンピックにおいてデモンストレーションとして実施されたのが最初です。その後2000年のシドニーパラリンピックから公式競技となり、今年の北京パラリンピックを迎えました。
 日本に最初に紹介されたのは1997年11月で、国内の普及や国際大会を目指して国内大会や海外遠征・国際大会に参加、またレフリークリニックやクラシフィケーションクリニックが開催されています。日本は2002年・2006年の世界選手権、2004年のアテネパラリンピックに出場しています。

会場:北京科学技術大学体育館(USTB GYMNASIUM)
試合期間:2008年9月12日〜9月16日
参加国:アメリカ・カナダ・ニュージーランド・オーストラリア・イギリス・日本・ドイツ・中国
試合形式:Aグループ(4カ国)、Bグループ(4カ国)の2グループに分け、予選リーグ・クロスオーバー、順位決定戦が行われた。
順位:GOLD USA(アメリカ)、SILVER AUS(オーストラリア)、BRONZ CAN(カナダ)、4 GBR(イギリス)、5 NZL(ニュージーランド)、6 GER(ドイツ)、7 JPN(日本)、8     
CHN(中国)

 

9月10日
 終日、ルール確認に費やされた。わずかな時間にルームメイト(アメリカの審判員)から選手村の食堂、ランドリー、ナショナルセンター、バスストップなど必要な部分について案内を受けた。
 会場である北京科学技術大学体育館(USTB GYMNASIUM)まで選手村からバスで約10分から15分と比較的近いところにあった。中国の関係者と会い、自己紹介、大会期間中の日程の確認、会場関係者からの施設内の案内や注意事項等について説明を受けた。コートの状態や電気機器の確認を念入りにした。サブアリーナ等も申し分ない状況であった。選手控え室や審判員の更衣室も若干狭く感じたほかは問題なかった。

 

9月11日
 午前中は、心理学の立場からの講義が行われた。これはスポーツ心理学の領域の専門の方から選手や監督・コーチなどベンチスタッフの心理状態、また審判員・テーブルオフィシャルなどの心理状態、さらに双方との関係、審判員・テーブルオフィシャルとの関係についての内容であった。
 審判員・テーブルオフィシャルとの関係では、3〜4人のグループになり演習も取り入れられ興味深いものであった。それはチームワーク・リーダーシップ、アイコンタクト・コミュニケーション・ボディランゲージなどの重要性が講義された。審判員・テーブルオフィシャルはチームであり、ひとつのクルーであることが強調され、各大会においては顔見知りの人も居れば、初対面の人も居る。また経験年数の違い、国の違い、言語の違いなどもあるので試合開始前の2〜3日前にはルールの確認、大会毎の注意事項の確認と審判員・テーブルオフィシャル間のチームワーク・コミュニケーションを良くするために様々なことにおいて、行動を一緒にすることの必要性についても話があった。
 午後からは、今回の大会での留意点およびルールについて再度確認がされた。各国、各地域(アメリカゾーン、ヨーロッパゾーン、アジア・アセアニアゾーン)で起こった珍しいケースや判定に困ったケース、判定に不満を示したケースなどについて意見交換し共通認識を得るようにした。

 

9月12日〜9月16日 試合
 午前中:北京パラリンピック後のルール変更について議論が毎日された。これは今年3月に各国(国際ウィルチェアーラグビー連盟加盟国23カ国)・各ゾーンから出された意見を6月にカナダ・バンクーバーにおいて開催された会議を受けて最終確認のために行われた。また、ルール変更に伴いそれに関連するケースブックの変更・確認も同時に行った。
 午後:1日4試合が行われた。第1試合開始時間が13時で第4試合開始が20時であり終了するのが21時30分頃であった。最終ゲームが終了して選手村へのバスの出発が21時50分で予定時刻のため終わると同時にスタッフはバスへと急がなくてはならなかった。
審判は1日1試合を担当した。パートナーとなった審判員は以前の国際大会で一緒に審判をしているのでお互いの良い点、苦手な点を理解し、知っておりチームワーク良く審判することが出来た。

 

おわりに
北京オリンピックに続いて行われた今回の北京パラリンピックは、北京オリンピックと同じ組織委員会のもとで大会運営が行われ、全体的にスムーズに行われたと思う。役員の活躍は言うまでもなく多くのボランティアの方々の支えがあって実施できたといえる。宿泊棟の玄関には24時間体制で学生ボランティアが常駐し(セキュリティー面を含む)、早朝・夜間に雑草を取ったり選手村内の道路が掃除され、環境汚染や衛生面を気にすることはほとんどなく過ごす事ができた。
2012年ロンドン(イギリス)で開催されることがすでに決定している。その次の2016年は東京を含め4都市が候補として残っている。来年の今頃には最終決定が発表される。是非東京になることを祈念し、最後になりましたがこのような機会に参加を認めてくださいました方々に感謝を申し上げて報告とさせていただきます。
(第10回日本ウィルチェアーラグビー選手権大会が千葉市・千葉ポートアリーナで12月19〜21日開催されます。興味ある方は是非、観戦・応援をお願いします。)

 

(写真1)審判員とTC(体育館で
(審判員とTC(体育館で)
(写真2)日本対ドイツ
(日本対ドイツ)

 

 

 

◎ ウィルチェアーラグビーのルールについて(主な点を紹介します)
競技は、バスケットボール用のコートで行なわれ、1チームは4名の選手で構成され、選手は、車いすの操作やボールを扱う能力(障害のレベル)により0.5点、1.0点、1.5点、2.0点、2.5点、3.0点そして3.5点の7クラスに分類され、競技中のコート上の4選手の持ち点の合計は8.0点以下で編成される。車いすは、相手の車いすを止めるためのバンパーや、相手の車いすから逃れるためのウィングが取り付けられている。ルールではタックル(相手の車いすに自分の車いすを衝突させたり引っかけたりすること)により相手の攻撃や防御を阻止することが認められている。
1. 競技時間は、1ピリオド8分間で4ピリオド行われます。第1ピリオドと第3ピリオド終了後には1分間のインターバル、第2ピリオド終了後には5分間のインターバルがある。延長は、3分間ごとに区切られ、ピリオドの全てに2分間のインターバルがある。
2. ボールは公式専用球(バレーボールを基に開発されたもの)が使用され、ルールの規定内であれば、あらゆる方向にパスすることが可能である。
3. ゴール(得点)は、攻撃側のボール保持者が乗っている車いすの前後輪4輪のうち2輪が、相手側のゴールライン(2つのゴールポスト間の8mのライン)上に達するか通過すると得点となる。
4. ドリブル : ボール保持者は、何回ハンドリムを押しても(車いすを漕いでも)良いが、10秒以内に1回はドリブルするか、パスを行わなければならない。違反の場合は相手チームにボールの所有権が移る。
5. スピニング :後輪車軸より後方へのタックルによって、相手の車いすを回転させてバランスを失わせたり、転倒させるような場合は、スピニングのファウルになる。オフェンスのファウルは相手チームにボールの所有権が移り、ディフェンスのファウルはその選手にペナルティーが科せられる。
6. 15秒制限 : オフェンス(攻撃するチーム)がバックコートでボールを入手した場合、15秒以内にフロントコート(相手側コート)にボールを持ち込まなければならない。違反した場合は相手チームにボールの所有権が移る。
7. バックコート : フロントコートでボールを所有している選手は、ボールを持っている間にバックコートに戻ったり、バックコートにいる味方選手にパスをしてはいけない。違反した場合は相手チームにボールの所有権が移る。
8. イリガル・ユーズ・オブ・ザ・ハンズ & ホールディング : 手や腕が相手選手(所有するボールを除く)に触れると、違法に手を使用したことなりファウルになる。また、手等により相手選手の身体や車いすを押さえるとホールディングのファウルになる。どちらも、オフェンスのファウルは相手チームにボールの所有権が移り、ディフェンスのファウルはその選手にペナルティーが科せられる。
9. キーエリア内での制限
(1)フォー・イン・ザ・キー : ディフェンスの場合、キーエリア内に同時に入れる人数は3人以下で4人目がキーエリアに入った場合その選手にペナルティーが科せられる。
(2)10秒制限 : オフェンスは、10秒までキーエリア内に入っていることができる。10秒を越えた場合は相手チームにボールの所有権が移る。
10. タイムアウト : 各チームは、1試合に4回まで、1分間のタイムアウトを取ることができます。