〔国際協力情報〕
中国リハビリテーション研究センター創立20周年記念式典
総長 岩谷 力



 2008年10月28日晴天の下、北京市釣魚台国賓館17号で中国リハビリテーション研究センター(中国康復研究中心)創立20周年記念式典が開催された。日本、ドイツ、ノルウェー、アメリカ、ニュージーランド、ハンガリーなど、中国国内からを含め約300名が出席した。センターからは、岩谷、赤居、白坂、千田が、センターOBとして二瓶隆一、木村哲彦、陶山哲夫、落合芙美子の各先輩が出席した。釣魚台国賓館は、天安門の西方にあり、六カ国協議などが行われている中国を代表する国際会議場である。
 式典は、鄧朴方氏の到着を待って開会され、有名なTVアナウンサー沈水さんの司会のもと、李建軍センター長の挨拶、程凱宣中国残疾人連合会副理事長の祝辞、張景元前センター長の祝辞に続き、中国リハビリテーション研究センター創立貢献者、中国リハビリテーション研究センター発展協力貢献機関ならびに特別功労者の表彰が行われた。国立障害者リハビリテーションセンターは、協力貢献機関としてJICAなどと共に表彰を受けた。表彰についで、四川地震で下肢切断を負った少女の中国リハビリテーション研究センターにおける治療に対する感謝のことば、関連病院代表、JICA代表上田善久理事の謝辞が続いた。更に10月28日を中国のリハビリテーション日とする提案がなされた。最後に鄧朴方副首相、障害者協会会長の祝辞があり、中国リハセンター病院看護師の手話による「感謝の心」の曲演奏で約1時間半の式典を終了した。
中国リハビリテーション研究センターは、鄧朴方氏の指導のもと、1983年に設立計画が作成され、1988年10月28日に開設された。開設に当たり、日本JICAが協力、建設設備、人材育成の両面で支援した。国立障害者リハビリテーションセンターは、津山直一総長のもと創立前から北京で、また国立障害者リハビリテーションセンターで多くの人々が人材教育プログラムに協力した。初山泰弘、二瓶隆一、木村哲彦、牛山武久、陶山哲夫、飛松好子の諸先生を中心に、岩谷、江藤所長も何回か北京を訪れ研修に協力し、知己も多い。中国リハビリテーション研究センター開設後も、JICAの協力は第2次のPT・OTの大学教育体制の整備にひきつがれ、現在は第3次協力、中西部リハ人材育成プログラムが進行中で、赤居病院長が重要な役割を果たしている。
 中国リハセンターとの関係はまことに深く、互いに「中リハ」「国リハ」と呼び合う兄弟施設としての友好関係を発展させて来ている。今日の中国リハビリテーション研究センターの中心をなす博愛病院は、ベット数850床、職員数は1,200人で、肢体不自由を中心としたリハセンターとして活発に活動している。一日外来人数約600名、理学療法部門は朝8時から夕9時まで治療を行っている。水治療法室には20年前に日本が供与した機器がきれいに手入れされて使われていた。職員には国立障害者リハビリテーションセンター又は日本国内で教育研修を受けた者が多く、病院内を歩くと、そこここで笑顔での挨拶が続き、病院のすぐ脇にはベット数300床の新病棟が完成間近であった。
 中国リハビリテーション研究センターの患者の多さとスタッフの活発な仕事ぶりは国立障害者リハビリテーションセンターをしのいでおり、中国No.1を自負するだけの力が感じられた。さらに四川省の地震被害者救済のために、500床のリハ病院の建設を政府が決定し、中国リハビリテーション研究センターが中心となって、第2のリハセンター創設にとりかかっている。
 20年前の姿を知る者にとっては、我々がこのような中国リハビリテーション研究センターの設立と発展に協力できたことを誇りに思われ、国立障害者リハビリテーションセンターの業績の一つにあげられるものである。
 これからの10年、我々が中国リハビリテーション研究センターの先輩としてあり続けるためには、社会と国立障害者リハビリテーションセンターの足元を冷静にみつめ、熱意を持って社会の要請に応える施設として、改善、改革を進めることであろう。
 嬉しさ、喜びと共に、覚悟を持って将来への課題を考えさせられた。

 

(写真1)中国リハビリテーション研究センター創立20周年記念式典の様子。前列中央に見えるのが鄧朴方副首相
中国リハビリテーション研究センター創立20周年記念式典の様子。前列中央に見えるのが鄧朴方副首相。
(写真2)中国リハビリテーション研究センターから国立障害者リハビリテーションセンターに贈られた表彰プレート
中国リハビリテーション研究センターから国立障害者リハビリテーションセンターに贈られた表彰プレート