〔病院情報〕
ISOTC168会議(ドルトムント)に参加して
第一機能回復訓練部部長 飛松好子


 10月9日から12日にかけて、ドイツのドルトムントというところで、ISOTC168WG1,2の会議が開かれ参加してきました。


ISOTC168WG1,2とは
 ISOTC168WG1,2とは international organization for standardization, technical committee, working group 1,2 のことです。ISOは日本語で国際標準化機構というのですが、一般にはISOとか、イソと呼ばれているもので、国際的に共通の基準を作るところです。ISOにはTCと略されるtechnical committee(技術委員会)があり、その数はおよそ200ほどです。それぞれの技術委員会が、専門分野を持っていて、スタンダード、標準、規格を作っています。規格がそろっていないと、たとえば、国内製品を輸出しようとしても相手の国では通用しなかったり、組み立てることができなかったりということが起こってきます。世界が遠く、広かった昔に作られ、そのまま、地域によって規格がいまだに異なるものの代表として、プラグや、電圧、その周波数などがあり、このため私たちは外国に行くときにとても苦労します。昔、中国に派遣されたときに、パソコンを持っていきました。日本から来たほかの人がうっかりそれを中国の電気に直接つないで電源を入れてしまったところ、シュパっと白い煙が出て、使えなくなってしまったことがあります。泣くに泣けない体験でした。こんなことも規格がそろっていないために起こることです。ISOはこのような不都合をなくすために国際規格を決めるところです。TC168は第168技術委員会のことですが、この委員会は義肢装具に関する標準化(規格化)を目的としています。WG(ワーキンググループ)1と2はいつも合同で開かれ、義肢装具に関する分類と用語の制定、医学的見地に関することを決める委員会です。ほかの委員会に比べ、利害が絡まないので、雰囲気がよく、みな仲がいいことで有名です。議論はいつも口角泡を飛ばし、ということになりますが、終わったとたん、一緒に食事をしたり、ビールを飲んだりと、朝から晩まで一緒にすごすことになります。
 このたびの会議では、ISPO(国際義肢装具協会)の作った用語集のチェック、5年前に作った義足の用語の見直し、切断に関する用語、歩行に関する用語の討議が行われました。用語については、分類を含みますので、たとえば、シリコンライナーをどう定義するか(懸垂機構のひとつとしてソケットの部分として捉えるのか、ソックス(段端袋)のひとつとしてとらえるのか、をまず議論の末決め、そして分類と機能、名称を定義していく、という手続きを進めます。このような議論を丸4日間行いました。


ドイツの義肢装具士教育
 会議の内容そのものも、医師として、あるいは日本人として大変勉強になるのですが、さらにこの会議で勉強になることは施設見学です。このたびは、ドルトムントにあるブンデスシューレという義肢装具の学校を見学しました。ドイツの義肢装具士教育は他のヨーロッパ諸国に比べ、特殊です。ドイツでは10年の義務教育後3.5年の修行を義肢装具の製作現場に入って積みます。その間は、週3日はワークショップ(現場)で製作の経験を積み、、週2日は学校に行って勉強をするという生活をします。その後1年の実地訓練を受けると一般の義肢装具士となることができます。そしてブンデスシューレの入学試験を受ける資格が得られます。シューレでは生理学や解剖等を1年間学びます。その後10年の臨床経験を経て、マイスターの試験(国家資格)を受ける資格が得られるのだそうです。他の医療職(看護師、PT、OTなど)は、13年間の一般教育後(高卒後)、専門学校に入学し、勉強して、資格を取るという制度ですので、ドイツ国内においても他の医療職の教育とは異なります。しかし、最近では、大学の工学部に義肢装具学科ができ、卒業すると義肢装具士の資格が取れる大学教育が始まっているそうです。


ドルトムントというところ、ヒロシマプラザ
 ドルトムントはドイツのルール地方というところにあり、ルール川、ライン川が流れ、石炭が取れるので、古くから工業地帯として栄えたところです。平らなところで、柔らかな起伏しかないので、どこに炭坑があるのだろうと思ったら、建物の中に縦坑があり、数十メートル掘って、そこを中心に水平に坑道を作り、掘り出すというもので、町中に炭坑があったりします。
 ドルトムントの町中にヒロシマプラザというところがあったので、訪ねてみました。小さな母子の像があり、説明がありました。初めは宗教関係者が寄贈を受けたもののようでしたが、1992年に正式に市のものとなり、原爆を繰り返さない、ヒロシマを忘れないという願いからそのようにしたそうです。4年間広島に住んだものとして感慨深いものがありました。


おわりに
 前回は5月に広島でこの会議を行いました。その時は、主催者でもあり、準備等もあって5日間、年休をとって行ったのですが、このたびは出張扱いにしていただき、大変助かりました。これからも会議の成果をセンターに、社会に還元できる等努めたいと思います。よろしくお願いします。

 

(写真1)会議の様子 最近は皆パソコンを持ち込み、書記のパソコン画面を写して議論する。会場はブンデスシューレの会議室。
会議の様子
(写真2)ヒロシマプラザ 母子の像と説明のプレートがひっそりとあった。
ヒロシマプラザ
最近は皆パソコンを持ち込み、書記のパソコン画面を写して議論する。会場はブンデスシューレの会議室。
母子の像と説明のプレートがひっそりとあった。