〔更生訓練所情報〕
更生訓練所就労支援(養成施設)理療教育課程 
平成20年度(第30回)卒業式
理療教育・就労支援部 教官 小泉 貴




 寒い中でも、春が近いことを感じさせる花の香りがただよう2月25日(水曜日)、理療教育課程第30回卒業式が当センター講堂にて開催されました。
 来賓、在所生、職員の盛大な拍手に迎えられながら、卒業生17名(専門課程15名、高等課程2名)と修了生5名(専門課程4名、高等課程1名)が粛々と入場し、鈴木 茂理療教育・就労支援部長の開会の言葉で式典が始まりました。国家斉唱の後の卒業・修了証書授与では岩谷 力総長から一人ずつ証書が手渡されました。きっと、卒業生、修了生は証書を受け取りながら、3年から5年のセンターでの日々に思いを巡らせていたことと思います。
 総長式辞では、21世紀にわが国が目指すべき社会は共生社会であるとし、資本主義経済の基本となる考え方を示した人として有名なアダム・スミスは、他人への同感、他人の気持ちを感じ取ること、それが競争するものが持つべき道徳であり、社会の利益の根本にあるということを訴えており、共生とは、他人の気持ちや行為に同感することから始まるものであると話されました。
 また、内村鑑三先生の、「後世への最大遺物」という本のなかの、人間が後世に遺すことのできる、誰にでも遺すことができる遺物で、利益だけあって害のない遺物がある。それは、勇ましい高尚なる生涯である。高尚なる勇ましい生涯とは、この世の中は決して悪魔が支配する世の中にあらずして、希望の世の中であると言うことを信ずることである。この世の中は悲嘆の世の中ではなくして、歓喜の世の中であるという考えを我々が生涯に実行して、その生涯を世の中の贈り物としてこの世を去ると言うことであります。その遺物は誰にも遺すことのできる遺物ではないかと思う。
というくだりを引用され、私たちはみな、限りある命を生きている、限りある人生、苦労することなく、お金が稼げて、社会で認められ、明るい家族に恵まれた何不足ない人生を生きたいと思うけど、現実は、格差社会が進んで、巨額な報酬を得る人がいる一方で、努力が報われない日々を送っている多くの人がいて、まさに、競争の意味が問われていると話され、自分の成功ばかりを考える競争はそこそこにして、他人への同感を大切にした共生に向かう時ではないかと言われました。
 最後に総長は、「今日の社会情勢、経済環境を考えますと、皆さんのこれからの人生は、平坦ではないかもしれません。どんなにがんばっても、壁に当たってしまったり、泥沼から抜け出せなくて苦しむことがあるかもしれません。そんなときには、内村鑑三先生の言葉を思い起こしていただきたいと思います。そして、これまで、努力してきた皆さんの力を信じて、問題に正面から向かい合えば、必ず道は開けると思います。納得するだけのお金、地位などは、どんなに努力してもすべての人が得られるとは限りませんが、納得のできる、誇りに思える人生は、努力によって誰もが得られるものでありましょう。これからの、皆さんの健康と幸多き人生をお祈りいたし、送る言葉といたします。」と、祝辞を締めくくられました。
 そして、卒業生の別れの言葉を専門3年2組 真瀬淑江さんが代表され行いました。卒業生、修了生の想いが良く表せられているのでここに全文を掲載させていただきます。 


別れのことば




 厳しかった冬も終わり、柔らかな陽射しが降り注ぐ中センターの庭に咲く紅か白の梅の花が春の訪れを感じさせてくれます。
本日はお忙しい中、ご来賓の皆様、総長をはじめ諸先生方、並びに関係者の皆様には、ご出席を頂きまして、私達 卒業生・修了生一同、心から御礼申し上げます。
 思い返せば、最初は慣れないセンターでの生活に戸惑う事も多く、想像をはるかに越えた学習内容、日に日に進む視力の低下、そして人間関係の難しさに思い悩んだ日々もありました。
 そんな中でも、今日まで続けて来られたのは、毎日の食事や健康管理。それに忙しい時間を縫って放課後の補習や実技の練習に熱心に当たって下さった先生方。家庭の悩みを相談したり、鍼実技で自信を失くした時、いつも傍で励まし支えてくれたクラスの仲間達。
 そうした多くの方々に助けられ、支えられてここまでくる事が出来ました。
 今から約4年前の秋、母が脳梗塞を起こしました。更に麻痺側の足に血栓が出来、壊死が始まり、やむを得ず、大腿部下端から切断することに。そんな深い悲しみと絶望に満ちた母の姿をとても見てはいられませんでした。“代われるものなら代わってあげたい”“生きていてくれればそれだけでいいから”そんな思いを抱いておりました。その後、辛く苦しいリハビリを経て、母が自宅に戻ったのは、脳梗塞発症から8ヵ月後の事でした。
 退院後の母は、坐位を保つのがやっとで、24時間全てにおいて、介護が必要な状態でした。私もセンターに入る迄の一年間、ヘルパーさんと交代で日中の介護をしていました。
 その頃は、まだ下の子供が小さくて。実家での母の介護の他に、幼稚園の送り迎え、自宅の家事もこなさなければならなかったので、毎日が時間との闘いでした。
 そんな中、私の生き方を変える1つの運命的な出会いがありました。
 母の在宅リハビリ担当のN先生。マッサージ師歴30年。開業・病院・老人ホームなど経験が豊富で、多くの実績を残されています。そのN先生がおっしゃいました。
「お母さん、自分の力でちゃんと動ける様になるわよ。1年かかるか2年かかるか分からないけど、それは本人の頑張り次第だわ」
そうおっしゃりながら施術を続ける先生の手が私にはまるで“神の手”の様に感じられました。
 そして私は、この時初めて、自分のやりたい事、進むべき道を見つけたのです。
 夢と希望を抱いて理療教育課程の扉をたたきました。
 1年生の時は、朝、家を出てから、帰宅するまでの時間、西武線の車窓から見た風景も、新所沢からセンターまでの歩いた道のりも、ここで出会った人達も、全てがとても新鮮で、毎日がドキドキ、ワクワクの連続でした。
 その反面、勉強と家庭の両立、平均睡眠時間4〜5時間、試験前になると決まって体調を崩す子供達。決して容易な道のりではありませんでした。
 そんな時、私の心を和ませてくれたのは、放課後の教室でのコーヒータイムです。みんなでお菓子を持ち寄って、勉強、クラス、先生達の事、時には家族や将来の事まで、色んな事を語り合ったものです。
 2年生になり、私は体力づくりの為、走友会に入りました。秋には自身初の5キロマラソンに挑戦し、無事に完走することが出来ました。
 ゴールした瞬間、大きな喜びで胸がいっぱいになったことは今でもはっきりと心に焼きついています。
 そして、3年生。本格的な臨床が始まりました。
 初めは不安と緊張の為、ぎこちない手つきで臨んでいましたが、次第に心にゆとりが持てる様になりました。
 患者さんから「楽になったわ」とか「手の感じがとっても良かったわ」などのお言葉を頂ける様になり、今年に入ってからは「試験頑張ってね」と多くの方から励まされました。
 実習生一人一人が、皆同じ様なエピソードを得た事でしょう。
 幼い頃から弱視で、学生時代を健常者の中で過ごし、なかなか自分を上手く表現出来なかった私にとって、ここで過ごしたこの3年間は、自分が人の役に立てる事の喜びを知り、又、夢に向かう3年間でした。私の今までの人生の中で、最も前向きに、最も頑張り、最も自分らしさが出せた充実した時間となりました。
 国家試験の1ヶ月前、1月21日。
 私を産み、育て、この世界に導いてくれた母が永遠に帰らぬ人となりました。
 卒業の報告も合格の発表も、何も伝える事が出来ませんでした。
 私は母の為にも、母の様に寝たきりで独り、痛みや孤独と闘っている人に対し、少しでも苦痛を和らげてあげられるような、そんな施術者を目指して生きていきたいと思います。
 最後になりましたが、今日ここで、卒業・修了を迎えるに当たり今までお世話になりました全ての方々に、感謝の気持ちを捧げます。
 「ありがとうございました」
 国立障害者リハビリテーションセンターの今後、益々のご繁栄と職員の皆様のご健勝、後輩の皆さんのご活躍を心から祈念してお別れの言葉と致します。

 

平成21年2月25日
国立障害者リハビリテーションセンター
第30回 理療教育課程卒業生・修了生代表
専門3年2組 真瀬淑江