〔国際協力情報〕
JICA 「コロンビア地雷被災者を中心とした
障害者総合リハビリテ−ション体制強化プロジェクト」
−視覚障害者のニーズ特定−
第三機能回復訓練部長 仲泊 聡


 表記プロジェクトのために2009年10月16日から10月24日の9日間コロンビアに出張した。コロンビアへは、米国経由で往路17時間、復路18時間を要した。まさに、地球の裏側に位置する国である。1990年代には毎年3万人が殺害される治安の極めて悪い国であったが、6年前に現大統領のウリベ氏がゲリラの掃討作戦を行い、ここ数年は比較的治安が落ち着いてきたという。しかし、未だに日本の10倍以上にあたる年間15000人以上が殺害され、テロ回数は600回を超えている。地雷被災者は最頻時の1000人/年からやや減少し約600人ほどであると公表されているが、被災者の認定には警察による厳しい事情聴取があり、一般人の被災者がそれを嫌って申告せず、その実数はずっと多いのではないかとも言われている。昨年、岩谷総長が事前調査を行ったところ、地雷被災者の病院へのアクセスが悪く、リハビリテーション施設が少なく、貧困のため医療が受けられないなどの基本的な問題点の他に、手に持った地雷が爆発し被災した場合、被災者は視覚障害と上肢障害という重複障害者となることが多く、地雷被災者の中にはこうした視覚障害を伴う重複障害ケースがかなり多いということがわかった。コロンビアにおける視覚障害リハビリテーションの体制は未発達で、アンテオキア県のサンビセンテデパウル病院でようやく施設整備に取り掛かったところであった。今回は、当センター第三機能回復訓練部の仲泊が、コロンビアにおける視覚障害リハビリテーションの状況を把握し、患者との接触等より、当事者およびリハスタッフのニーズを特定する目的で訪問した。
 主都のボゴタには、CRAC(Centro de Rehabilitacion para Adultos Ciegos)という私立の視覚障害者更生施設がある。これがほぼ唯一といってよいコロンビアでの視覚障害支援機関である。そこで、まずこの施設を訪問し、その内情を把握することから今回のミッションが始まった。まず、施設長のGladys Lopera Restrepo氏に詳細な説明を聞くことができた。そして、施設の隅々に渡って見学が許され、その全容が明らかになった。CRACは主に3つの部署からなっていた。第一はクリニックで、眼科医による診察、オプトメトリストによる視機能評価と光学的補装具の適合判定、臨床心理士による面接と特殊教育専門職によるロービジョン訓練がここで行われていた。クリニックの一角に眼鏡店があるのも私立の施設らしいところであった。第二は、訓練棟で、一般公開の機材訓練室、木工・手作業・陶芸などの部屋、感覚訓練室、日常生活活動訓練室、点字、白杖歩行訓練室など充実した空間とスタッフが目立っていた。第三は、管理部門とスタッフルームであった。職員は総勢で45名、そのうち30名は専門職であるという。眼科医は3名が関わっているが、すべて嘱託で、交代制で診察を行っている。オプトメトリストも嘱託で3名である。特殊教育専門職は、当センターの視覚障害学科を卒業したものと同様の教育を受けた職種であり8名いて、歩行訓練や点字教育、補装具の使用法の訓練などを行っている。その他、臨床心理士が3名、ソーシャルワーカーが2名、作業療法士が6名勤めているという。CRACでは、ロービジョンプログラムと全盲プログラムが医療保険を資金源として行われていた。我々の見学中に心理面接にきていた地雷被災者にインタビューすることができた。彼は、2008年6月に被災した軍人で、両下腿が切断され両眼を失明した。両手の握力は減ったが作業はでき、耳は大丈夫であった。当初は第三の都市であるカリの病院に5ヶ月入院し、その後主治医に紹介されてCRACに来たが、リハビリを行う気力が起きず、すぐに来なくなったという。心理面接を受けてようやく訓練ができるようになり、今は点字、そろばん、音声パソコンを訓練している。600人の彼の部隊のうち5名が視力を失う地雷被害に遭っているという。部隊の半数の兵士たちはPTSDを含めて地雷のための受診をしているのだそうである。比較的支援体制が整っている兵士でさえそのような状況の中で一般市民はいったいどれほど惨憺たる状態にあるのであろうか。
 次に本プロジェクトのカウンターパートである第二の都市のメデジンにあるサンビセンテデパウル病院を訪問し、そのリハ部に開設された視覚障害リハプロジェクトのメンバーとディスカッションした。サンビセンテデパウル病院は、1913年に創立した670床のアンテオキア県最大の私立病院である。国立アンテオキア大学(1801?)医学部の隣にあり、様々な形で交流を行っている。患者の95%が救急で、殺人や交通事故で死亡した患者の臓器が豊富なため、世界的な臓器移植のメッカとなっている。ここでは、2002年からロービジョンリハ、2007年から全盲リハをスタートした。スタッフは、リハ医のMontoya部長の下、ソーシャルワーカー、臨床心理士、総合内科医、特殊教育専門職がそれぞれ1名と3名の作業療法士の総勢8名である。眼科医もオプトメトリストも現状では関わっていない。技術はCRACで育った特殊教育専門職のBejarano氏と作業療法士のMeneses氏によるところが大きく、設備もロータリークラブの資金援助を元にミニCRACと言う感じで一通り揃っている。しかし、眼科医やオプトメトリストの関与がない点がロービジョンリハにおいて圧倒的な弱点になっていることは、彼ら自身も認めるところであった。コロンビアでは医者の収入が出来高払いであるため、コストパフォーマンスの悪いロービジョンに関心を示す眼科医が少なく、ほとんどの眼科医は手術を生業としている。2002年にロービジョンリハが始まったときには眼科医が関わっていたらしいのだが、その後その眼科医は抜けてしまっているとのことで、担当のリハ部長は、国立アンテオキア大学眼科との連携を望んでいた。仲泊は、彼らを相手に日本の現状を伝えるべく3時間におよぶ講義を行った。見学途中で挨拶を交わすことのできた国立アンテオキア大学眼科教授の配慮で、同眼科スタッフも聴講に来てくれた。サンビセンテデパウル病院の視覚障害リハスタッフは皆熱心にその話に耳を傾けてくれた。こうして意見交換を行ったのち、今後、このプログラムをどうすべきかについての活動戦略会議が行われた。仲泊はここで、1) 眼科医(少なくともオプトメトリスト)の関与、2) 歩行訓練の拡充、3) ルーペ類の拡充を提言した。ただ、本質はむしろそこにはなかった。リハ施設が圧倒的に少なく、CRACやサンビセンテデパウル病院がいくらがんばったところで、国内の視覚障害者のわずか1%にしかサービスが届けられないということがコロンビアという国の現在の大問題であると思われた。しかし、これを改善するには経済根拠だけでなく社会構造の変革が必須であり、まずはサンビセンテデパウル病院での成功がモデルとなり、それが時代とともに次第に広まっていくのを望むしかないのかもしれない。

(写真1)CRAC入り口にて、右から3番目が施設長のグラディスさん、4番目は同行した社会保障省のロキオさん
CRAC入り口にて、右から3番目が施設長のグラディスさん、4番目は同行した社会保障省のロキオさん
 
(写真2)サンビセンテデパウル病院での講義にてシミュレーションゴーグルを使用して携帯型拡大読書器を回覧しているところ
サンビセンテデパウル病院での講義にてシミュレーションゴーグルを使用して携帯型拡大読書器を回覧しているところ