〔学院情報〕
アメリカにおける手話通訳養成
学院 手話通訳学科 教官 木村晴美・宮澤典子


 平成22年1月31日から2月8日の9日間、筑波技術大学・日本聴覚障害学生高等教育支援ネットワーク(PEPNet-Japan)第7回アメリカ視察「高等専門領域に対応した手話通訳者の養成」に参加の機会を得られ、ボストン、ロチェスター、デンバーの3市において7か所を視察した中から特に興味深かった点について報告する。
 アメリカにおける手話通訳養成は、以前からコミュニティ・カレッジのような高等教育機関で2年間のカリキュラムで行われていたが、近年は学士を取得できる4年制大学における通訳養成課程も増えている。4年制の大学は全米に30校、コミュニティ・カレッジは100校を数える。
 今回の視察先の一つであるノースイースタン大学は、1978年からASL(アメリカ手話)クラスを設けており、1983年には言語学部に手話通訳学科を開設、1993年からは学士号プログラムを開始している。さらに2005年には大学院修士課程が設置された。
 ノースイースタン大学で手話通訳を目指す学生は、言語学部に150人在籍している。1〜2年次にはASLだけでなく、一般教養の科目を広く履修する。2年次を修了すると、一年間体験実習をする中間年(Middle year)という期間がある。手話通訳学科の学生は、ボストンの200年以上の歴史をもつデフ・コミュニティで、ろう者関連施設におけるボランティア活動等を通してろう文化を体得しASLを高める。
 3年次からはいよいよ通訳トレーニングが始まるが、その前にASL習得度のテストがある。この評価の基準は全米共通のものである。従来の通訳トレーニングは、翻訳から始まり逐次通訳、同時通訳と順を追って行われるのが定石であった。しかし、ノースイースタン大学では、その定石には従わず、ディスコース別にトレーニングを組み立てている。ディスコースとは談話のことで、質問、物語、説明、説得と談話形式は習得される。その言語発達に沿った通訳トレーニングは理にかなっている。
 そもそもノースイースタン大学の学生たちの学力は高い。説得的談話のトレーニングでは、まず、ろう者のASLによる説得的談話を分析し、その談話が論理的かどうか、矛盾はないかなどを検証する。さらにその検証結果を授業で発表しなければならない。つまり、第一言語はもちろん第二言語でも説得的な談話ができるだけの力を持っていなければならない。ノースイースタン大学の学生たちはそれに応えられる能力を持っていた。
 さらに、4年次になると、すでにプロとして活躍している先輩通訳者に同行して、通訳現場を観察したり、自らも通訳を行う「通訳実習」が課せられている。週に2〜3回実習に出かけ、その後教室に戻って実習で得た課題を話し合い、通訳のあり方や職業倫理等について考える。このようにして理論と実践を並行して学んでいる。このような実習は教育機関の力だけでは難しい。ノースイースタン大学は周辺のデフ・コミュニティやプロ通訳者とうまく連携がとれている。
 通訳は言語の力だけでは完結しない。今回の視察で、最近アメリカの手話通訳界で重要視されている「デマンド・コントロール」理論を知った。「デマンド」とは、業務上解決しなければならない諸課題のことで、「コントロール」とは、その諸課題を解決していく力のことをいう。デマンドは「環境」「人間関係」「パラ言語」「通訳者自身」の4つの視点で整理する。通訳現場ではさまざまなデマンドが発生する。あるデマンドを解決しようとすると、それにより次のデマンドが生まれる。次々と発生するデマンドを常に上記4つの視点で整理しコントロールすることで通訳は進められる。「デマンド・コントロール」を意識し検討しあうことで、科学的な通訳論が確立する。アメリカはそれを養成段階から導入している。
 アメリカでこれほど充実した養成プログラムが実践されているのには訳がある。ご存じのとおりアメリカは「障害を持つアメリカ人法(ADA)」により、障害による差別を禁止している。聴覚障害者が支障なく通信システムを使用できることもその一つだ。そこで、多くの通訳派遣会社がビデオリレーサービス(VRS)を提供し、その経費は連邦政府が拠出している。アメリカで手話通訳の仕事をするにはRIDという全米手話通訳者協会認定の資格が不可欠となっている。さらに報酬も専門職にふさわしい額が保障されており、通訳者の能力は高い。今回訪問したコロラド州デンバーにある通訳派遣会社では、ビデオリレーサービスのためのブースが15室用意されており、正規雇用の通訳者25名と75名のパート社員がシフト制で通訳業務にあたっていた。
 コミュニティ通訳も提供されているが、依頼者はろう者自身ではない。大半が企業や病院をはじめ学校や裁判所など公共施設側が通訳を手配することになっている。もちろん通訳にかかる費用は手配側が負担する。日本では通訳を依頼するのも利用するのもろう者自身であることが多いが、アメリカでは社会が手話通訳を環境化している。通訳を手配・依頼する人をクライアント(client)、実際の利用者をコンシューマ(consumer)と言い分けていることからも、その概念の定着度がうかがえた。
 どんなに優れた養成プログラムを受けても、それを生かす場がなければ宝の持ち腐れになってしまう。手話通訳が真の社会資源となるためにもADAを制定したアメリカに学ぶところは大きい。今回の視察で学んだ効果的な方法を取り入れ、当学院の養成プログラムをさらに充実させていきたい。


(写真1)ノースイースタン大学
ノースイースタン大学
 
(写真2)授業(4年次)   (写真3)ビデオリレーサービス
授業(4年次)   ビデオリレーサービス