〔研究所情報〕
自閉症者の認知特性を客観的に評価する方法の開発
脳機能系障害研究部 脳神経科学研究室研究員  和田 真


 研究所研究員に着任する前は、順天堂大学医学部(北澤研究室)にて、脳の時間情報処理について、被験者を対象にした心理実験やマウス・ラットを用いた基礎実験を行っておりました。近年の脳科学の進歩とともに、一見、関係なさそうな時間情報処理の基礎研究と自閉症を結ぶ線が見えてきたこともあって、順天堂在籍中から基礎研究の成果をなんとか活かせないか思案しておりました。そして、その線を究めるために、平成21年7月より研究所・神作研究室研究員として着任させていただくことになりました。基礎研究の成果を障害をお持ちの方の自立支援に活かしていくことを視野に入れた研究をしていきたいと考えております。
 現在、私たちは、自閉症者の認知特性を客観的に評価する取り組みを実施しております。未だ不明なことが多い自閉症の器質的・機能的変化を突き止めていくことは、客観的な診断を可能とし、支援の強力な足がかりになると考えています。
自閉症の背景にある脳の変化
 対人関係など社会性の障害とされる自閉症ですが、少しずつ神経基盤が明らかになりつつあります。神経画像法を用いた過去の研究によると、自閉症者の脳には、領域内には過剰な神経線維がある半面、領域間を結ぶ長い神経線維は相対的に少ない傾向にあるとされています。過剰な神経線維は時間情報処理を狂わせる恐れがある半面、領域間を結ぶ神経線維が少ないと、情報の結びつけの困難になる可能性があります。感覚情報は脳のさまざまな場所に分かれて処理されているからです。自閉症者は「微細な運動が苦手である」、「物事を全体的にとらえるのが苦手である」といわれていて、確かに話は合います。自閉症児で見られる「逆さバイバイ」、あるいは心の理論の獲得遅延などは、自己と他者の位置関係について認知の偏りが生じていることが原因であると考えられます。これも広い意味でいえば情報の結びつけが困難であることに起因した障害と考えられます。
 これらの点について、客観的な検査法がほとんど存在しないのが現状ですが、もし何らかの客観的な評価法を開発することができれば、その場の症状だけでは見分けることが難しい障害、たとえば若年発症の統合失調症などとの鑑別診断の助けになり、その人の障害に合わせた適切な支援が可能になると考えられます。
時間順序判断とは
 私たちが、実際に用いている課題の一つは「時間順序判断」という課題です。時間順序判断とは、2つの感覚刺激の順序を判断させる課題ですが、私たちの実験では、被験者の左右の手の指先に連続した触覚刺激を与えて、どちらが先に刺激されたのか、あるいは後に刺激されたのか、ということをボタン押しで判断してもらいます(図1)。触覚刺激は、微弱な振動で、2つの刺激の時間差は1500ミリ秒(1.5秒)から10ミリ秒(0.01秒)と短いものです。刺激は左右の手に2か所だけですから、脳の時間情報処理を調べる上で最もシンプルな課題です。図2は、定型発達者の応答の一例です。グラフの横軸は2つの触覚刺激の時間差(ミリ秒)で、マイナスの値は左手が先に刺激された場合です。一方、縦軸は「右手が先に刺激されたと被験者が判断した確率」です。もし完全に正解した場合には、グラフの中央で縦軸の値が0から1へジャンプするような応答になります。腕をまっすぐ前にだした状態で答えてもらった時の応答(黒い線と四角)は、かなり正確で、刺激時間差が100ミリ秒に至るまでほぼ正解できています。一方、腕を交差してもらった時(赤い線と丸)には、まったく異なる結果で、刺激時間差が300ミリ秒あたりでは判断が逆転する傾向になります。刺激時間差が1秒を越えると、判断はほぼ元に戻るため、単なる左右の手の取り違えではありません。この結果から、順序の判断は、触覚刺激の空間的な位置づけをしたのちに行われていることがわかりました。もし、皮膚上の位置だけで判断をしているのならば、このような現象は起こらないはずだからです。以上の結果は、私自身が関わった研究を含む国内外の先行研究とも一致していて、ほとんどの被験者で再現される傾向です。触覚の時間順序判断を使うと、時間情報処理だけでなく、触覚刺激の順序と空間上の位置のような複数の情報の結びつけも評価することができるのです。
自閉症スペクトラム者の時間順序判断
 現在進めている研究では、この時間順序判断課題を自閉症の方に行っていただき、その応答を評価しています。自立支援局・秩父学園の高木園長から紹介いただいた自閉症スペクトラム児のうち、課題を理解し最後まで課題を行っていただけた方を対象に、腕非交差と腕交差時のそれぞれで、時間順序判断の応答を解析しています。
 現在、実験の追加と解析の途上にありますが、腕をまっすぐ前に出してもらった時の応答は、定型発達者と大きく変わるところはありませんでした。一方、腕を交差した状態で回答してもらった時の応答は、まったく異なるものになりました。定型発達者では刺激時間差が300ミリ秒あたりから判断の逆転傾向が生じたのに対し、自閉症スペクトラム児では、腕交差をした状態であっても、判断の逆転が生じにくい傾向にありました。自閉症スペクトラム者で時間と空間の認知が定型発達者とは異なるやり方で行われている可能性が示唆されましたので、より広い範囲の被験者を対象に調査を進めていきたいと考えております。並行して、課題実行中の脳活動の変化を明らかにするため、fMRIなどの非侵襲脳活動計測法を用いて検討を重ねています。この実験を通じて、時間情報処理に関連した領域や自閉症者における特異的な脳活動について明らかにしていきたいと考えております
 もちろん、今回の研究が、ただちに自閉症者の客観診断を実現するものとはいえませんが、それに向けた手掛かりを追及していくことで、障害特性を客観化し障害の脳内基盤を明らかにすることを目指しております。個々の方で、発達の過程で生じる問題・時期を予測できるようになれば、障害のリハビリテーションに向けた有効な足がかりになるのではないかと考え、研究を進めております。今後ともよろしくお願いいたします。

(写真)実験の様子
図1 実験の様子

 

(グラフ)定型発達者の一例
図2 定型発達者の一例