〔国際協力情報〕
マレーシア訪問記
総長 岩谷 力


 マレーシアはユーラシア大陸の東南端から南に突き出たマレー半島の南半分とボルネオ島北部にまたがる立憲君主制国家である。東はボルネオ島、南はジャワ島、西はスマトラ島に面し、スマトラ島との間のマラッカ海峡は東アジアとインド、ヨーロッパとを結ぶ海路の要衝で、古くはポルトガル、オランダが、19世紀以降はイギリスが支配していた。人口は2700万人、人口の約65%はマレー系、約25%が中華系、約7%がインド系のほか少数民族、混血グループなど複雑な民族から構成されている。公用語はマレーシア語であるが、幼児から英語を学び、多くのひとが英語をマレー語同様に使っている。日本からは成田から空路約6時間で首都クアラルンプールに到着する。近々には羽田に乗り入れる予定の格安航空会社が5000円のチケットを発売すると伝えられており、日本と関係が深い東南アジアの主要国である。
 私は、10月3日から8日まで、マレーシア社会保障機構(PERKESO:Pertubuhan Keselamatan Sosial、英語名はSOCSO:Social Security Organization)の招きでクアラルンプール、マラッカを訪問した。その目的は、SOCSOがマラッカに建設予定のリハビリテーションセンターの設計、設備計画について助言することであった。
 SOCSOは、マレーシア政府人的資源省の外郭団体で、マレーシア人の企業経営者、労働者の老齢年金、医療保険、労災補償、障害年金、障害一時手当金、失業給付金などを管理している。年間5.5万件の事故があり、4万7千人が何らかの障害を負い、1万3千人が後遺障害をもつに至る。近年、これらの人々の障害を軽減し職場復帰を図ることが重要課題となり、数年前から大臣はじめSOCSOの職員がリハビリテーションセンターの設立を計画し、世界中の関連施設を見学し、設計図、設備計画がまとまった。思い起こすと、2008年9月にマレーシア人的資源省大臣が当センターを視察に来られ、今年の4月にもSOCSOのチェアマンAbuyazid氏、CEOのSelvarajah氏(氏の祖母は日本人)、事業部長のMohammed Azman氏、建築家のAbdul Aziz氏らがセンターに来訪し、その際にマレーシアでリハビリテーションセンター建設計画が進んでいることを知り、訪問の可否を尋ねられたことがあった。
 今回の私の役目は建設予定のリハビリテーションセンターの設計図と設備計画書について意見・アドバイスをすることであった。計画中のリハビリテーションセンターは労働災害患者と労災に起因する障害者の機能回復訓練、生活訓練、職業訓練、職業復帰をワンストップで行うことを目的とし、外来診療・リハビリテーション部門、入院・入所部門から構成され、リハビリテーション棟、居住棟、職業訓練棟、職業復帰棟、管理棟、エネルギーセンターなどの建物が計画されている(図)。医学的リハビリテーションは、腰痛などの痛み、職業耐性向上、神経疾患、聴覚障害、聴覚言語障害、視覚障害、心理的障害などを対象とし、職業リハビリテーションは、ソフトスキル・トレーニング(書く、読む、計算、パソコン操作)など基本的な職業技能習得を目指し、職業復帰支援では、ケースマネジャーが就労復帰にむけて包括的プログラムに基づいて、雇用主への支援を含めて包括的支援をする体制を整備しようとするものである。建物は管理棟、職員食堂、医学リハビリテーション部門、宿舎棟、イスラム教祈祷ホール、職業リハビリテーション棟、リハビリテーション訓練棟に分かれ、150,000平方メートルの敷地内に配置されている。
 建設予定地はマラッカの市内から10数キロ離れた開発途上の土地で、2011年はじめに着工が予定されており、1年半の工期が見込まれている。
 私は、10月3日の夕方クアラルンプールに着き、4日の午前中にSOCSOのチェアマンAbuyazid氏を表敬 (朝7時半に、なぜかゴルフクラブのクラブハウスで)したのち、Azman氏とともに事務所を訪問し、車で高速道路を約2時間、マラッカに移動した。
 マラッカは、マラッカ海峡のほぼ中央に位置する古い町で、ポルトガルの要塞があった海峡に臨む丘のうえには、教会の遺跡があり、フランシスコ・ザビエルが葬られていた墓のあとがある。ザビエルは1549年から2年にわたり日本でキリスト教布教活動を行った。1553年に中国での宣教中に46歳で没した。その遺骸はマラッカに移送され丘の上の教会に葬られたが、1554年にインドのゴアのボン・ジェズ教会に安置された(ウィキペディアによる)。そのザビエルの遺骸が一時葬られていた墓には、多くの観光客が訪れている。町にはポルトガル、オランダ、イギリスの統治下に立てられた建物が残る西洋風のブロックと中国系、インド系、マレー系のブロックがあり、インド系の町には花屋が多く、中国系はレストランが多いなど特徴が見られた。町全体が安全で、夜遅く一人歩きをしている女性観光客もいるほどであった。
 翌日から3日間、マラッカ市街から車で15分くらいのAyer KerohにあるSOCSO事務所に、朝9時15分から夕方5時半まで缶詰状態で、設計図、施設整備計画書類を一枚ずつチェックし、意見を求められた。その間、ずっとビデオカメラが私に向けられていた!!
 リハビリテーションセンターの建設予定地はこの事務所から車で10分くらいの幹線道路から2kmくらい入った最近開発された土地で、4車線の道路がまっすぐに走るほか、周囲には建物が全く見あたらなかった(写真)。
 建物の設計図は25枚、設備書類は108頁に及び、あらかじめコピーを日本に送って貰って目を通していたものの、すべてに目を通すのはかなりの重労働であった。プランは全体的によくできあがっており、我々の施設でも見習いたい点があった。私のアドバイスで変更した点の主なものは、利用者が利用するドアを引き戸とすること、視覚障害者の移動のために音のガイドを設置すること、視覚障害者のために職業訓練室の明かりを調整する装置を設置すること等であった。マレーシアの経済状態は良好で導入予定機器、設備は贅沢と思われるものもあったが、基本的に大きな変更は必要ないものと考えられた。
 今後は、建物の建設と平行してスタッフの教育をすすめる必要があり、日本の協力を求める希望が表明された。今後、当センターとSOCSOリハビリテーションセンターとの協力関係が発展する可能性があると考えられた。
 マラッカでの2日半の会議ののち、クアラルンプールに戻り、理療教育教官を退官後クアラルンプールでJICA のシニアボランティアとして視覚障害者にあんま、はり、きゅうを教えている笹田さんと会うことができた。笹田夫妻と夕食をともにし、マレーシアにおける障害者リハビリテーションについて、色々と情報を教えて貰った。
 翌日笹田さんが滞在しているブルックフィールドという町を訪問した。この町はインド系の人々が多く住む町で、同時に視覚障害者が多く住んでいる。歩道には点字ブロックが敷設されているが、段差が多く、町並が雑然としており、歩道に店先がせり出していたり、立ち止まって話をする人が多かったりして、視覚障害の方々にはかなりバリアがあるが、町全体が気軽に視覚障害者の道案内をしてくれるため、笹田さんが立ち話をしている人にぶつかっても、きわめて普通に道をあけてくれるし、安全なところまでガイドしてくれる。レストランでも、メニューの説明、食卓上の配置を教えてくれるなど、大変視覚障害者に優しい町であった。
 昼食ののちに、大使館柳沼氏(厚労省から出向中)の車で市内観光、ヒンズー教寺院、錫製品で有名なロイヤルセランゴールセンター、土産センターなどを案内して貰ったのちに、大使館に4時過ぎに到着し、柳沼さんとJICA松村さんと今回の訪問について概要を説明した。夕食を近くの中華レストランでJICAの専門家の久野さん、四方さんとともに鍋料理を楽しんだのちに空港に向かい、夜半の便でクアラルンプールを後にし、成田には翌朝の7時半に帰着した。
 マレーシアは、マハティール首相のLook East政策により、わが国を手本として発展してきており、人々は親日的であった。クアラルンプールはよく整備された近代都市で活気に満ちていた。今回の訪問のきっかけについて、尋ねたところ、リハビリテーションセンター建設の検討が始まった当時、政府要人が世界のいくつかの国にリハビリテーションセンターの視察に出かけた結果、彼らが目指す医療から生活、職業復帰のリハビリテーションサービスを一貫して提供している施設は我々のセンターのみであったことから、日本の障害者リハビリテーションセンターから助言を受けることとしたとのことであった。図らずも、我々のセンターが世界でもユニークな存在であることを知ることができた。この特徴は、30年にわたって先輩がそして我々が育ててきた伝統であり、大切に発展させていくべきものであることを再認識した旅であった。


(写真)会議終了後、検討会のスタッフ一同と記念写真

会議終了後、検討会のスタッフ一同と記念写真

  私の右がSOCSOのCEO Selvarajah氏(氏の祖母は日本人)
 
(写真)建設予定地で、Dr. Hussain と ケースマネジャーのRoshaimi氏

建設予定地で、Dr. Hussain とケースマネジャーのRoshaimi氏

 
(図)建設予定イメージ図

建設予定イメージ図

 
(図)リハビリテーション棟イメージ図

リハビリテーション棟イメージ図