〔国際協力情報〕
WHO障害とリハビリテーションに関する協力機関会議に出席して(ジュネーブ出張報告)
総長 江藤文夫


 今年6月27日、28日にスイス、ジュネーブの世界保健機関(WHO)本部で開催された「障害とリハビリテーションに関する協力機関会議」に出席しました。この会議の目的は、障害とリハビリテーションに関するWHOの「行動計画2006‐2011」に関連する活動の進捗状況について検討することです。あわせて、障害に関する世界報告書及び関連するガイドラインを実効あるものにするために、今後10年間に可能な戦略的行動と優先順位について話し合うということでした。出席者は、リハビリテーションに関する国際学会や協会、当事者団体、WHO研究協力センターからの代表者およびWHO関係者など合計47名でした。
 この会議に先立って、WHO職員とジュネーブ駐在の公使館員等に対して、この世界報告書を紹介するための昼休みセミナーが企画されました。セミナーは、Executive Board Roomで行われ、午前11時から参加登録受付ということでしたが、特にアナウンスもなく、いつの間にか人が集まっているという感じで、会議は予定通り12時から始まりました。
 WHOアシスタント事務局長のAla Alwanの司会により、去る6月9日にニューヨークの国連本部で行われた世界報告書の発刊式典と同様に、Stephen Hawking教授の挨拶がビデオ上映され、次いで世界各地の障害当事者からの自己紹介と発言が同じくビデオにより上映されました。次いで、障害とリハビリテーションチーム(DAR)のコーディネータAlana Officerより世界報告書の紹介がなされた後、セミナーとしてパネル討論があり、ほぼ予定の午後1時45分に終了しました。開会直前には中央の円卓を囲む形式の会場はほぼ満席に近い状況でしたが(写真1)、セミナーの途中から退席者が目立ち始め、終わり頃の聴衆は協力機関会議出席予定者ばかりといった感じになりました。
 小休止の後、出席者は中央の円卓に席を移して、障害とリハビリテーションにおけるWHO協力機関会議が始まりました。はじめに、Dr Etienne Krug(WHO暴力と損傷予防部長)が座長となって、これまでの経緯、前回の会議の振り返り、DARに関する行動計画2006-2011(国連の「障害者の権利に関する条約」採択以前に策定)とその進捗状況が報告され、今回の会議の議案について検討しました。前回の協力機関会議は、条約採択後の2007年9月に今回同様WHO本部で37名が出席して開催され、行動計画に沿った活動や優先順位の見直しとDARスタッフの強化が図られたということです。
 次いで、出席者全員の自己紹介の後、会場入り口前のスペースで、各団体の活動紹介のポスター・セッションに移りました。会議間近になって、各機関の紹介ポスターを持参し提示するよう求められ、急遽A0サイズの国リハの紹介ポスターを持参しました。趣旨は、お互いに知己になり情報交換の機会を持つということで、19団体のポスターが掲示されました。ポスターの大きさは、すべてが学術集会でイメージされるA0サイズというわけではなく、A3サイズのものもあり、さまざまでした。近接しないと文字が読めないものも多く、その分、親密さを増す仕掛けだったかもしれません。
 第2日目は朝9時から始まり、2019年までの到達目標に関して、1)政策、2)社会システムの強化、3)能力開発、4)データと研究、の4領域についてグループに分かれて、別室に移動して討議が行われ、江藤は「システム強化」のグループに組み入れられました。このグループではCBRの強化が最大関心事であり、関連して支援技術や機器、保健とリハビリテーションについて課題が討議されました。その後、全員が一堂に会し、各グループからの報告と全体討議がなされました。
 次いで、11時半から各団体の具体的行動に関して、1)学術、2)開発、3)専門職、4)障害者団体(DPO: Disabled people's organization)の4領域についてグループに分かれて討議が行われ、江藤は「学術Academic」のグループに組分けされました。このグループにはリハビリテーション関連の医師や専門職種が多く、障害をテーマとした研究論文が掲載される雑誌のImpact Factor(今日の、学術雑誌の有力な価値基準)が低いことへの対応課題が繰り返し発言されました。その後、昼休みを挟んで、全体討議が行われました。
 午後3時半からの最終セッションでは、次のステップに向けての行動計画を検討し、各機関や団体の行動計画について発言が求められました。世界報告書の普及が当面の課題とされることから、従来の活動に加えて日本語への翻訳作業が必要と考えましたが、各国での翻訳作業の重要性についてはさほど意識されていなかったようです。最後に総合討論とまとめがあり、5時過ぎに閉会となりました。
 当地はサマータイムなので、午後8時過ぎまで陽光が残り、会議終了後ホテルに戻ってから、湖畔まで散策しました(写真2)。ジュネーブはフランス語圏であり、バスなど町中のアナウンスはすべてフランス語で、世界保健機関の略語はWHOではなくOMSでした。貴重な会議に出席できた充実感はありましたが、国際機関で仕事をする邦人に出会うことはなく、町の文化に触れる機会もなく、記憶の関連づけ強化に役立つエピソードのないのが少し残念でした。



写真1:Executive Board Roomでの昼休みセミナー開会直前風景   写真2:レマン湖上に吹き上がる噴水の眺め
(写真1)Executive Board Roomでの
昼休みセミナー開会直前風景
  (写真2)レマン湖上に吹き上がる噴水の眺め